『御神言』と『三六九の儀』大上院勝とマドレーヌ道子の ~カルマ解消~ & Misogi Academy

香苗の体験談 Vol.1「ご先祖様の重い重いカルマを1人で背・・・ | 大上院勝の「三六九の儀」& Misogi Academy

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香苗の体験談 Vol.1「ご先祖様の重い重いカルマを1人で背負ってきた父」

新しいブログ連載が始まります。

「鈴木香苗さんのカルマ体験談シリーズ」です。

静岡県富士市にお住まいの香苗さんの
大上院先生・道子先生との出会いは9年前。

静岡県富士市は、
【源平の合戦】で有名な富士川があり、
戦国時代には数々の戦場となった土地なのです。
その重いカルマの土地で生まれ育った香苗さん。

そんな香苗さんの、
三六九の儀から始まったカルマを清め続け、
困難から抜け出して夢を実現するまでの体験談の連載がスタートします。

 

===

私が、大上院先生、道子先生に初めてお会いしたのは9年前です。

当時、私は長男という新しい命を迎えて、家族で幸せな日々を過ごしていました。
両親もとても喜んでくれていました。
ところが実家では、解決方法の見えない出来事が次々と起きていて、
両親は生活することが精一杯の状況でした。

でも、その問題に目を向けても進む方向が分からない、解決できるかわからない、
だから、目の前の出来事に対処して生きていくことしかできなかったのです。
そうした両親の苦労を感じながらも、
私もどうしてあげることもできない日々が続いていました。

父は30代後半で会社を立ち上げてから、順風満帆のスタート切り事業を展開させていました。
しかし、不景気の波が押し寄せてきてから、次第に会社の経営も回らなくなり始めました。
それでも、未来を信じて、借金をして立て直しを図ろうと懸命に働いていました。

 

その頃、私の4人兄弟の末の妹が大学進学をするにあたり、
家庭内でもこれまでは伏せてきたお金の話題が飛び交うようになりました。
学費や下宿費をどうするか、仕送りをどうするか、奨学金で何とかなるか、
会社の借金もある、お金が回っていくか‥
そんな中でも妹は努力の末、都内国立大学に進学が決まり、
お金の心配を抱えながら家を出たのでした。

 

父は、会社の経営がうまくいかず、日に日に飲酒量が増えていきました。
もともと出かけて人と会うことが好きな性分でしたので、
夜も飲みに出かけて日が変わっても家に帰らないことが毎日のように続きました。
その上、夜十分に眠れている様子はなく、朝早くに仕事に出かけてまた夜中に帰ってくる。
十数年前、子どもが生まれてから一度やめていたタバコもまた吸いはじめ、吸う量も徐々に増えていく。
家族みんなが、父の身体を心配して声をかけても、聞く耳は持たない。
段々と家庭内でも大きな声を出して怒ることも増え、ピリピリした空気が漂っていました。

そうかと思えば、私の前では
「お母さんを幸せにしてあげられないのが悔しい」と涙を流すこともありました。
きっと父もこのままではいけないと気づいてはいるけど、
どうにもしようがない状況だったのでしょう。

 

その頃、母の知人から、

「あなたたちのご先祖様の影響で私の顔がこんなに腫れてしまった。
とにかく早くご先祖様を清めなさい。一緒に東京の先生の所へ行って。」

と母に連絡がありました。

突然の連絡と出来事に母もよく理解できないまま、
まるで蜂に数十箇所も刺されたように腫れあがった知人の顔を治すために、
大上院先生と道子先生のもとに新幹線に乗って急遽行くことになったのです。
これもご先祖様と神さまの導きでした。

 

母が先生方のところから帰ってくるとすぐに姉と私は呼び出され、

「いい?よく聞いて。私たち動き出すよ!
ご先祖様のため、ご先祖様が苦しめた人々のために、お祈りを始めるよ。
あなたたちの世代、この子たち孫の世代にも、ご先祖様の作ったカルマは流れ続ける。
今、その流れを変えられるなら動き始める。
一緒に動いてほしい。」

と、まっすぐな目と揺らぎない言葉で伝えられました。

 

私は、話の内容を理解したというよりも母の真剣さを受け取り、
今が大きく動く時なのだという直観と共にその日から「祈り」を始めることにしました。

私たちの住んでいる大地には、
富士下方五社と呼ばれる五つの神社と浅間神社が存在するのですが、
ご先祖様と関わりの深い神社であったことを知り、
母と共に毎週末早朝に参拝することになりました。
父も母に連れられるようにしてついてきました。
表面では、しぶしぶとした態度であっても、
きっと父自身も神様にすがる思いであったのでしょう。

 

各神社では、

「ご先祖様方、生前は大変ご苦労様でした。
私たち子孫に真実を教えてくださったこと、感謝申し上げます。
また、無念の思いのまま苦しめて続けてしまった大勢の御霊さん方、
大変申し訳ございませんでした。
神様の愛と光で霊界に導いていただけますように。」

と労いと感謝と謝罪に廻る日々でした。

 

私の祖父から七代前のご先祖様は、小長井山城の上(コナガイヤマシロノカミ)と呼ばれ、
当時、介錯(※)の役目を賜っていたそうです。
戦国の時代には、関東と関西を分ける要の地として強軍の影響を受けてきたため、
厳しい処罰や敵方の見せしめもあり、介錯という役目も必要かつ、重要でした。

そして、人の命を途絶えることに携わるので、
信心し、仏の供養も怠りなく修業していたのでした。
介錯に使われた刀も、神より賜るご神器であり、
神のご加護と罪を清めるためにご神事にも修業していました。

当時は家をあげて祭り事をしていたのですが、
代が変わる度に、心、精神が堕落し、修業を怠るようになり、
「自分たちが偉く、自分たちがすごい」
と勘違いをし、本来の神との繋がりも薄れていったのです。

(※介錯‥切腹する人のそばに付き添っていて、その人が刀を腹に突き刺すと同時にその首を斬って、死を助けてやること)

その頃から、処刑されて亡くなった方々が霊界へ行けなくなり、
特に恨み、無念、生きることへの執着のある者たちがこの世に残り、
無念を晴らそうと、土地の人々、小長井家の子孫に影響を及ぼすようになりました。
実際に父の事業を立ち回らなくさせたのも家系のカルマの表れであり、
霊界に還れずに苦しむ御霊たちからの念があり、
早く本来の役目に気づけ!というご先祖様からのメッセージでもありました。

 

私たち家族は、道子先生を通してのご神言(ご先祖様の話)を初めて聞いた際に、
疑いではなく、確信が持てたのでした。

これまで家系に、自分たちは“首切り族”だと面白おかしく伝えられてきた話、
家に刀があったという話、
代々男性が短命であった事実とそれに気づいた祖母が熱心に信心し続けてきた姿、
親族が作った家系図に小長井山城の上(コナガイヤマシロノカミ)が記載されていたことなど‥
これまで、真実を隠すように絡まり合っていた紐がスルスルと解かれていく感覚でした。

また、母が、なぜ私は父と結婚したのか謎で仕方ないと言い続けてきたのですが、
この家系のカルマを解くお役目があったのだと知ると腑に落ちたようでした。
(両親は前生でも夫婦で、今生では夫婦共に人々に御恩返しをする使命があるそうです。)

そんな折、また早急に儀を受ける必要が出てきました。
父の背骨のお清めでした。
家系のカルマの上に、父個人の過去生からの影響も重なり、傲慢な意識が刻まれていて、
母と私たちにも影響が出ているとのことでした。

家族は、父が
「怒るか、怒らないか」「いいと言うか、ダメと言うか」
で何事も判断するようになっていました。
父を気にしながら生きる家族となっていたのです。
しかし、家系のカルマと父自身の背骨を清めていただいた後から、
徐々に父に変化が起こっていきました。

 

まず変わったのは、父ではなく母、姉、私でした。
これまで、父には何を言っても聞く耳を持たない、怒る、怒鳴る、体調は悪化する‥
それに耐えられず、父を何とか変えようと必死であった周りの家族が、
父個人だけの問題ではなかったことに気づき、受け容れ始めたのです。

父の肩には、7代前から続く家系のカルマが重たくのしかかっていたのです。
その目に見えないカルマの重圧に、父個人ではどうにもしようがなく、
誰にも気づいてもらえず、分かってもらえず必死に生きてきたことをようやく知ることができ、父に影響を及ぼしていた背景に目を向け始めたのです。
そして、父に対して、怒りではなく慈しみの思いを向けるようになりました。
また、この環境下で4人の子どもを育て生き抜いてきてくれた父に、
改めて感謝の想いが膨らむのでした。

 

母や姉、私からかける言葉も変化し、父は段々と柔らかくなっていきました。
まるで、これまで自分を敵から守るためにがっちりと装備していた見えない鎧を、
ゆっくりと下ろし始めたようでした。
家族の前でも何を言われるかと恐れ、威嚇していた様子から、
子どものように無垢で優しい、素の父が出てくるようになったように感じています。
鬼のように怒ってばかりだった父が、
今は目頭が下がった優しいおじいちゃんになりました。

 

9年が経ち、ご先祖様から流れてきた家系のカルマの重圧から解かれた父は、
今は自身が作ってきた今生のカルマと病に向き合い始めています。
私たちも父が父らしく生きていけるよう家族で応援しています。
当時の父の張りつめた様子、緊迫した家族の空気を思い出すと、
母の直観と行動力ですぐに儀を受けて、
ここまで清め続けてこられたことに心から感謝しています。

カルマを背負っていた父、そのカルマを解くために結婚した母。
2人の長年に渡る大変な苦労と儀を受けてからの変化を改めて振り返ると、
自然と涙が出てきます。
両親のもとに生まれてきたことに感謝です。
そして、ここに生まれると決めた私たちも、勇気ある存在だ!
と誇りを感じています(笑)

カルマを解き始めてからの私と家族の変化は、次のブログへと続きます。

  • 2022年06月11日
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