『御神言』と『三六九の儀』大上院勝とマドレーヌ道子の ~カルマ解消~ & Misogi Academy

三六九の儀から起こった家族の変化 | 大上院勝の「三六九の儀」& Misogi Academy

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スタッフブログ

三六九の儀から起こった家族の変化

こんにちは。

大上院スタッフのやすこです。

大上院先生・道子先生と出会い、
自分のルーツであるご先祖様に意識を向け、
カルマを解く生き方を始めて、
早いもので5年が経ちました。

それによって、私自身も大きく変わりました。
私自身の変化は、先生方の元で継続している「魂の学び」を経て、
「魂で生きること」へシフトしています。

だからこそ、最近は家族の変化を感じることが度々あります。
今回はその体験を紹介します。

 

▼先生方との出会いや、カルマを解き始めた頃についてはこちらのブログ参照
目に視えない世界への扉 ~瑆が「ご先祖様」や「視えない存在」に親しみを持つまで~

 

始めてしばらくは、何も変化は感じませんでしたが、
改めて振り返ってみると大きな変化が起きていました。

 

私の家族は、両親、妹、私とそれぞれに独立して住んでいます。
もともと、必要な時以外は連絡を取らない家族でした。
年末に帰省する時や誕生日くらいで、普段の些細な会話もなければ、
ましてや相談ごとや、込み入った深い話はしませんでした。

 

私の辛い経験として強烈だったのは、
20代の頃に当時おつきあいしていた彼と旅行に行こうとして、
両親に旅行の報告をしたところ、両親に勘当されかけたということがありました。
この時に両親に対しては憎しみの感情さえ持っていました。

 

また、これまでも不安症である両親には、
何事も相談はできないし、したくもありませんでした。
お墓参りも、ほとんどしていませんでした。

 

三六九の儀の後、両親の家系(母方、父方)の先祖へのお祈りや塩盛りを続けました。
さらには自分自身を成長させたい、
自分の人生の夢を実現させたいと
魂の光スクール(現在:魂の覚醒メソッド)で学んだこともあり、
まず私自身が変わり、両親との関係にも変化が見られ始めていたところ、
新型コロナウィルスの流行がきっかけになって、大きく変わりました。

 

それは、家族のLINEグループを作ったこと。

この時は、コロナで面会もできないというニュースを見て、
離れて住んでいる私たちは、
「家族の死に目に会えないかもしれない」という恐怖に襲われ、
命の大切さ、今という時間の大切さに気づきました。

そして、
「もっと家族を大切にしよう、コミュニケーションを取ろう」
と思ったのです。
今日が最後かもしれない、今のままだと後悔する、と思いました。

 

とはいえ、家族でLINEグループを作ることは、
以前なら想像だにできないことでした。

意外にも、提案するとすぐにグループが作れました。
はじめはよそよそしかったのですが、
徐々にごく普通のやり取りができるようになりました。

新型コロナウィルスについて意見交換をしたり、
父の趣味のボウリングの話であったり…
日々の会話を楽しむことができました。

また、私は昨年結婚しましたが、
今では、夫もグループに混じえて、
家族の範囲が広がり
グループで楽しく会話ができることに
家族もこうやって変化していくのだなと、驚きと喜びを感じています。

 

また、神や、祈り、ということに対して、両親は抵抗がありました。
初詣には当たり前のように行くのですが(笑)

私が神様の話、お祈りの話をすると、
「それは宗教だ!」
といい顔をせずむしろ心配されましたが、
今はそれも和らいできたようです。

 

例えば、私の家族には、氏神様にお参りするという習慣がありませんでした。
お正月に帰省した時に、
「実家の氏神様にお参りしてなかった!」
ということに気づいて、家族で一緒に参拝することを提案しました。
はじめは拒否されるかな?と思いましたが、一緒に行ってくれました。

 

実は、母は知りたかったけれど調べてなかったそうで、
父は全く興味がなさそうでした。

それが、一度参拝したら、氏神様は両親の散歩コースになりました。
今では頻繁にお参りしてくれています。
春には氏神様の桜の写真を送ってくれたりと、
住んでいる土地を大切にしてくれているのが伝わってきます。

とてもありがたいことです。

 

 

また、昨年のお盆のできごと。

「両親も親戚も変わった」
と実感した出来事がありました。

「今年のお盆は帰省できないけど、私はこっちでお供えしてお祈りするね」
と父に連絡したのです。

すると、父からこんな返信がきました。

「我が家の仏壇にも、
簡素化ではありますが「盆棚」を飾り、
ご先祖様をお迎えしております。」

以前はここまでしていなかったのです。
いつの間にか、ご先祖様をおもてなしをするようになっていて、
私は驚いてしまいました。

 

そして、お供え物の立派な夕張メロン。
母の姉から「お供え」として贈られてきたそうですが、
なんと初めてのことだったそうです。

 

「お供え」を送ることは、きっと伯母さんの気持ちが緩んだからですね。
カルマを解いてきたからだなぁと、実感しました。

先祖のカルマを解くと、
ご先祖様はもちろん、ご先祖様と縁のあった人の因縁が解けていく。
御霊さんたちが楽になると、生きている私たち、
関係する親戚までもが楽になり、楽になってくるということです。

 

私自身、はじめは自分の生まれた家族にしか意識が向きませんでしたが、
徐々に親戚にも意識が向くようになってきました。

▼それはこのブログにも書きました。
年の瀬に、家系図を見ながら感じたこと

 

《家系のカルマ》という大きな覆いの中にいると、
カルマという靄(かすみ)がかかって見えないのですね。
それは、自分が靄の中にいる時には気づきません。
自分がそこから出て初めてわかります。

そして、まだ靄の中にいる人が、がんじがらめになっている様子も
なんとなく分かるようになってくるのです。

 

そこには、日々お祈りや塩盛りを続けてきたことや、
お話会で他の方の体験談を聞かせていただくことで、
自分自身の目線や視点も広がってきたこともあります。

 

先日、お塩盛りをする時に、
「父方の伯母は伯父とどこで知り合ったんだろう?」
と突然疑問が湧いて、後で父に聞こう、と思ったのです。

 

その晩、大上院先生の満月瞑想会に参加しました。

すると、瞑想中にとても左股関節が痛みました。
もともと弱い部分ではありますが、瞑想に集中できないほどの痛みでした。

終了後のシェアで話をしてみたところ、その痛みは
「伯母が嫁いだ家系のご先祖さまの影響だ」
と言うことがわかったのです。

しかも、その家系はかなり重いカルマがあることを
道子先生を通して教えていただきました。

まさか股関節の痛みがその家系の影響だったと知って驚いてしまいましたが、
まずは、日中のお塩盛り中に疑問が浮かんできたということが、
ご先祖さまからの訴えであったわけですね。

瞑想会終了後、すぐに塩盛りをしてお祈りしました。

 

後日、この話を《心の扉を開く》お話会の時にしたら、
ある参加者さんのZoom画面が固まり、勝手に落ちてしまいました。

後でその参加者さんに聞いたら、
「私(やすこ)のご先祖さまが何か訴えている、しかもかなり重い」
と感じていたそうです。

なぜなら、
通常は落ちてすぐに自動的に立ち上がるはずのZoomが戻らず、
何らかの声も発していた、というのです。

そこで私は、改めて父に連絡して、この家系のことを聞きました。
精神的な病をお持ちの方が多いことや、
伯母が亡くなってから困窮したという話を聞くことができました。
私が知らなかったことばかりで驚きましたが、話ができてよかったです。
この時が、知るタイミングだったのでしょう。

 

こうして、自分の家系が清まっていくと、
清める範囲が親戚へと広がっていくのだなぁと実感しました。

霊界で楽になったご先祖さまが、
啓蒙活動をしてくださっているのかもしれませんね。
「あそこでカルマ解くといいよ!」と。

私にとっても、ご奉仕できる範囲が広がることはありがたいことです。

こちらの家系は、ゆくゆく儀を行った方が良いと感じますが、
時期はまた何かの出来事が教えてくれるでしょう。
目の前に起きていることを見逃さずに行って参ります。

 

また、先月のこと、
父の実家であり、
現在は父の兄が住んでいる場所(仙台市泉区七北田)
が突然思い出されました。

気になって仕方がなく、どうして何度も思い出すのだろう?
何かあったのかな?
と思い、父に連絡しました。

すると、最近は兄と連絡とっていないからわからないとのことで、
何かわかったら連絡をもらうようにお願いしていました。

私は、気になった父の実家の土地と、父方の家系の塩盛りをしました。
すると、大きくひび割れたのです!

 

 

何のメッセージかな?と思っていたら、翌日父から連絡がありました。
ちょうど1週間前に、
祖父が亡くなった場所に参詣したことを思い出した、というのです。

父方祖父は、
私を大上院先生・道子先生に引き合わせてくれた人であり、
生前お会いしたことはないのですが、
私はとても身近に感じている存在です。

このブログにも書いたのですが、祖父は自死しています。
私は交通事故で亡くなったと聞いていましたが、
御神言でそれは違っていたことが明らかになりました。

 

そして、祖父が亡くなった交差点は、
昔、伊達藩の処刑地であり、約7,000名もの人が亡くなった場所です。

ここでは交通事故が多発し、仙台市が慰霊碑を建てました。
また、心霊スポットとしても取り上げられるほどです。

と言うことは、
ここで苦しんでいる方がまだたくさんおられるということです。
この交差点のことは、仙台市のホームページにも書いてあります。

この場所に、父は時々参詣しているのですが、
ちょうど1週間前に行ったそうなのです。
私の連絡でそのことを思い出し、
母と相談して、翌日2人で改めて参詣してくれたのです。

その交差点の「交通事故死没者慰霊塔」と、
近くにある「仙台藩処刑場(七北田刑場)」へ。

こうして、気づいてすぐにお参りしてくれた両親に、
私はとても感謝しています。

亡き祖父も喜んでいることと思いますし、
この地で苦しんでいた御霊さんたちも喜ばれたと思います。

このような両親の行動は、以前は想像できなかったことです。

実家の土地を思い出した、と私が話したら、
きっと「何言ってるの?」と返されるだけだったでしょう。
ひび割れたお塩盛りの写真も両親に共有しました。

こういう奉仕を家族で行えるようになったことに、大きな変化を感じます
先生方にお話したところ、
「家系を清めていくと、いつの間にかみんなの行動も清まっていく」
と教えてくださいました。
両親にかかっていたカルマの重荷も軽くなってきたのでしょう。

 

私が、結婚するときに行った夫の家系の三六九の儀でいただいた御神示があります。

私は、

「相方ともに心せよ」

という言葉がとても響きました。

夫の家系だけでなく、私が生まれ育った家系も、
カミを求めることなく、知力を柱として生きてきたということ。

三六九の儀から5年経った今、
私の家族は、ご先祖様や見えないものに目を向けて手を合わせる、大切にする、
という方向に向いてきていることを感じます。

日々の生きる姿勢が変わってきているということです。

これが、三六九の儀、カルマを解くという生き方を通しての、
私の家族の変化です。

ゆっくりですが、確実に変わっています。

ついつい人は、すぐに変化や結果を求めてしまうものですが、
先祖代々引き継がれた生き方は、一朝一夕では変わるものではありません。

ずっとそのようにして生きてきたから。
それが当たり前で、いいと思っていたから。
そしてみんな一生懸命に生きてきたのです。

いま、神様の存在、カルマに気づいた私たちから変わり、
お祈りしていくことによって、この生き方が、
両親や親戚、ご先祖様、縁のある人に伝わっていくことを願っています。

そして、私自身がその見本となれるように、日々精進して参ります。

 

  • 2022年06月4日
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