「感謝の法則」を使おう
ポジティブな態度でいれば、目の前にあることを超越し、深淵を見るこどができます。
自分に必要なものは何かを明確に理解し、それがすばらしいかたちですべて満たされるのだということを、何の疑いもなく知り、感謝するのです。感謝の気持ちを表わすのをけっして忘れてはいけません。
「あらゆるものへの感謝」の法則は、この世界の根本的な霊的法則なのです。
すべてに対し、ほんとうに感謝することができますか?
あらゆる状況の中に良い側面を見ることができますか?
この法則をもっともっと実践すること、とくに、困難と思える状況に直面したときにこそ実践してほしいのです。
まず、その状況をはっきりと正面から見すえます。
こんどはその中にあるもの、その裏側に隠されたもの、その全体像から見えるもの、まわりにあるものをすべて見るのです。
これが終われば、状況に対する見方が完璧に変わってしまっているのに気がつくことでしょう。
はじめは最悪の状況と思えたものが、いまはひとつのチャンスとなり、その中からいちばんいいものを引き出して、それを成功に導こうと決意するようになるのです。
幸せの種をまきつづけよう
与えることの喜びは無限です。
あなたが自分の才能や能力を(それは人によって異なりますが、すべてがさまざまな面で充分に役割を果たしているのです)惜しみなく与えるにしたがって、あなたは能力的にも、精神的にも成長していくのです。
もしあなたが快活な明るい性格の持ち主であれば、あなたは行くさきざきで明るさを分け与えるでしょうし、それが千倍にもなってあなたに返ってくるでしょう。
明るい性格には、誰もがこだまのように反応するのです。
自分のまいた種は、すべて自分が刈りとるのだということを、つねに覚えておきなさい。
もしあなたが批判や不寛容、不誠実、悲観主義の種をまけば、それはそっくり、あなたに返ってくるのです。
今すぐに喜びと幸せ、愛と、やさしさと、思いやりの種をまいて、それがあなたにどんな形で返ってくるか試してごらんなさい。
人生に対するあなたの見方はすっかり変わるでしょうし、あなたは自分がこの世の最高のものを引き寄せていることに気づくでしょう。
あなたが与えた喜びは、まわりの人たちすべてから、こだまのように返ってくるでしょう。
誰もが喜びを与えてくれる人を愛し、与えられたことにお返しをせずにはいられないのです。
人生は変化です
いつもあなたの前には、梯子の次の段があなたの挑戦を待っています。
弱気になることなく、つねに最上段をめざして登りつづけよう。
人生は進展であり、変化であり、成長なのです。
いかなる人も同じところにとどまっていることはできません。
自然が静止することもありません。
自然はたえず変化し、拡大し、一つの段階から次の段階へと成長しつづけます。
どんぐりは堂々たるカシの大木になり、球根は美しい花を咲かせ、種子は豊かな穀物を実らせます。
変化は休みなく続いているのです。
もしあなたの中にたえず変化が起こっていないとすれば、きっとどこかに問題があるのですから、その正体をつきとめて、手をうたなければなりません。
変化に逆らおうとはしないで、変化を受け入れ、変化とともに流れよう。
それは必ずしも快適とは言えないかもしれませんが、すこしぐらいの不快感は喜んで受け入れよう。
やがて輝くばかりの新しい種子が、あなたの中で芽をふき、成長して、あなたを光と愛とインスピレーションに満ちた、まったく新しい人間に変えてくれるでしょう。
奇跡を期待しよう
奇跡を期待しよう。
奇跡がつぎつぎに起こることを期待し、心の中から限界の枠をすべて取りはずそう。
あなたの心は、開かれていれば開かれているほどよいのです。
宇宙の法則がすこしも妨げられずに流れて行けるからです。
奇跡とは、宇宙の法則が形にあらわれたものにすぎません。
宇宙の法則とともに流れよう。
そうすればどんなことでも起こりうるのです!
宇宙の計画が完璧な形で展開されていくのを見守ろう。
そこには、あわただしさや、急いでいる感じはまったくありません。
進展する速度はたいへん速いかもしれませんが、そこのあるのは平和と静寂、完璧なタイミングと正確です。
それはすべて、あなたの内からはじまり、あなたの外へと進んでいくのです。
あなたの内の障害物によって、その進展が妨げられるようなことがあってはいけません。
宇宙の計画のすべてを実現させ、その新しい世界に生きよう。
豊かさをエンジョイしなさい
今すぐに、豊かになろうと考えはじめてはいかがですか。
貧しいことが、けっして美徳なわけではないのだと悟りなさい。
お金そのものは、良いものでも悪いものでもないことを理解してほしいのです。
お金はお金にすぎません。
お金は貯えるためではなく、使われるためにあるのであり、たえず循環していなくてはなりません。
お金は力であり、力は慎重にあつかわれる必要があります。
電気も一つの力ですが、あなたはけっして不注意なあつかいはしないでしょう。
へたをすると命を落としかねないからです。
お金もそれと同じで、どんな場合にも無責任な態度であつかってはいけません。
魂の真の自由が理解できれば、あなたは欠乏感や、自分には限界があるという意識を完全にふり払うことができます。
あなたのものはすべて、真の英知にもとづいて使うことを学びなさい。
わたしがあなたに与えたものはすべて、わたしの栄誉と栄光をあらわすために使わねばならないことを、そしてあなたはわたしの完全なすばらしい贈りものの良き管理者にならねばならないことを理解しなさい。
周囲と協調しなさい
生命とともに流れなさい
変化の一部になりなさい
赤ん坊は、母親の子宮から出ないかぎり生まれることはできません。
世界の平和はあなたの内から始まります
まず、あなた自身から始める必要があるのです。
最初は小さなことから出発し、それを育て、大きくしていかなければなりません。
堂々たるカシの大木も、はじめは小さなドングリにすぎませんが、その小さなドングリはあらゆるものを内に含んでいます。あなたは世界の平和を内に含んでいるのです。
あなたの内でそれを育て、大きくしていけば、やがてそれは限界に達して殻をつき破り、世界に平和と調和をもたらします。
すべてはあなたの内で始まるのです。
ですから、世界に平和と調和をもたらすうえで、あなたの果たす役割がいかに重要であるかをはっきりと自覚しなさい。世界の現状をほかの人のせいにして、ただ手をこまねいているのではなく、みずから行動し、なんらかの形で世界に貢献しようとつとめなさい。
完全な平安の中で眞の意志を行ない、眞の道を歩み、眞の栄光をたたえなさい。
放射線被曝に対する、天然塩と味噌の力
「原爆で被爆しても、被害の出なかった人たち」
8月9日に長崎に原爆が落とされ、その爆心地から1.8kmしかはなれていない場所で被災したにも関わらず、原爆症が出なかった人たちがいる事実について、何が被爆した彼らを原爆症から守ったのか、ということについて説明になると思いますので以下引用いたします。
1945年8月9日、長崎に原爆が投下された。その爆心地から、たった1,8kmのところで、当時聖フランシスコ病院医長であった秋月辰一郎博士と病院関係者は全員被爆した。博士は焼け爛れて痛がる人々に、「水を飲んではいかんぞ!」と大声でどなった。
おそらく直観的に、血液の濃度を保ち、血液を水で薄めることなくガードしようとしたのだろう。(注)(確かに戦地で傷の深い重症の兵士に水を飲ませるとすぐに死んでしまうという記録がある。)
さらに博士は、次のように職員に命令したという。
「爆弾を受けた人には塩がいい。塩辛い味噌汁を作って毎日たべさせろ。そして、甘いものを避けろ。砂糖はぜったいにいかんぞ。」(秋月辰一郎著「死の同心円ー長崎被爆医師の記録」講談社・絶版)
「放射線宿酔」と呼ばれる、レントゲンを受けた後に起こることがある全身の倦怠や頭痛などの症状には、体験上、生理食塩水より少し多めの塩分を含んだ水を飲むとよいということをとっさに思い出し原爆の放射能から体をガードするには、塩が有効であることを推測したのだ。味噌汁の具はかぼちゃであった。後にわかめの味噌汁も多くとったらしい。
砂糖を禁じたのは、砂糖は造血細胞に対する毒素であり、塩のナトリウムイオンは造血細胞の活力を与えるという、彼自身の食養医学によってである。
するとどうであろう。そのとき患者の救助にあたったスタッフらに、原爆症の症状がでなかったのである。
普通なら、次第に進行してしまうところなのに、彼らはそれから後ずっと現実に生き延びているのである。
このことは私には大きなショックであった。
食というものによる、見かけからはなかなかわからない「体質的な強さ」というものの重い価値を知り、驚嘆した。
ちょっとした体質のガードが、明らかに生と死を分けているからである。
博士は人間の体質にとって、味噌が実に大切であることを説き、のちにこう語っている。「この一部の防衛が人間の生死の境においてきわめて重要なのである。」(秋月辰一郎著「体質と食物」クリエート出版)
博士の書いた「長崎原爆体験記」(日本図書刊行センター「日本の原爆記録」第9巻)という本の英訳版が欧米で出まわり、チェルノブイリ原発事故の後、ヨーロッパで日本の味噌が売れたということはあまり知られていない。(中略)秋月博士は、「体質医学」の大切さを主張し次のようにいっていう。
「それは、人間の体質を作りかえることが医学の本然の姿であるという信念による。人間の体質を作り変えて、病気にかからなくてすむ身体、また病気にかかっても軽くて治る身体になることである。」
玄米・塩(食塩ではなく、天日塩)、味噌、梅干、海藻、糠漬けなどの漬物、日本の伝統食が自分の身をまもることになります。