『御神言』と『三六九の儀』大上院勝とマドレーヌ道子の ~カルマ解消~ & Misogi Academy

【珠生の体験談】魂はいつも私たちが気づくのを待っている | 大上院勝の「三六九の儀」& Misogi Academy

『御神言』と『三六九の儀』大上院勝とマドレーヌ道子の ~カルマ解消~ & Misogi Academy
~真理と正しい人間関係を学び霊的成長の道を目指す~

大上院勝のブログ

【珠生の体験談】魂はいつも私たちが気づくのを待っている

ごきげんよう、角尾珠生でございます。
先祖のカルマを解き清めたのち、「魂で生きる」学びを「魂の光」という講座で続けています。


自らの生き方や考え方の癖を振り返り、自我(肉体)ではなく真我(魂)で生きていくための学びを深めていくと、突然、衝撃の事実に気づくことがあります。

まさに必要なタイミングと必要な形で稲妻が光るように力強く、その人の身に降りてくるのです。

例えば、道子先生から、

「命の危機に瀕するような過酷な環境に置かれた時、未来に希望を見出し生き抜くと決意した人間は生き長らえ、目の前の恐怖と絶望に囚われしまった人間は徐々に衰弱して死んでしまう。」

というお話を聞いて、自分はどうなんだろうと考えました。

すると、「そもそも、なぜこんなにずっと前から毎日生きることが辛くて苦しいのだろう」という長年の疑問の答えが見つかったのです。

ちなみに疑問の答えは「死ぬために人生を浪費しているから」です。

とても当たり前ですぐに気づきそうなものですが、全く思いつきもしませんでした。
私の場合、子供の頃から周囲の環境があまりにも大変な状況だったということや、死に方が気に入らなかった過去生やご先祖から様々なカルマの影響を受けていました。

長年【死】だけに救いを見出し、『ちゃんと生きる』のではなくて【ちゃんと死ぬ】ことに重きを置いて、どう生きるかではなくどう死ぬかについて考えていました


そして、どうせそのうち死ぬのだから何をしても無駄だと人生を諦めていたわけです。

この状態は自覚している時だけでなく、無自覚の状態でも変わりませんでした。

ですから、どれだけ学びを深めても祈ることを続けても「生きるって辛い」というところから抜け出すことが出来なかったのです。

しかし、そんな人生は始めから終わっているのと同じで、そんな状態で生きていたら人生が苦しいことだらけなのは当たり前じゃないかと気づいたのです。


その衝撃は今までの人生で経験したことのないものでした。


今までの私は偽りであった、つまり私として存在していたのに私の人生を生きていなかった。
自分(魂)のことや神様とした約束のことを分かったような気でいたけれど、まだまだ分かっていないことがたくさんあった。

そう気づいた瞬間、まるで人生というすごろくの振り出しに裸で戻されたような物凄く心許ない、「え?これから、どうしたらいいの?私、今更迷子なの?これ大丈夫なの?」という気持ちになりました。


自分が何をしたいのか分からない、何をすればいいのか分からないと呆然としたのです。

しかし、徐々に落ち着きを取り戻してくると、『今が本来の魂としての私なんだ、これに気づくことなく今回の人生を終えるより、断然良かった』と思えるようになりました。

「死ぬことに人生を浪費しなくてもいい、私は生きていても大丈夫。」と感じられるようになったのです。


何のために今回生まれてきたのか?

もちろんカルマを解き清め、自我の欲求を超えられるように一歩一歩霊的な成長を遂げるためなのですが、もっともっと大事なことがあります。

それは365日24時間苦しむためだけに大事な人生をすり減らす必要はないということ、そんなことのために生まれてきたわけではないということなのです。

人生を喜びで満たし、自他を愛し、穏やかな心持ちで日々の一瞬一瞬を大切に過ごすこと。


私はそうしたかったはずなのに、今まで真逆に大爆走していた!今までのやり方は絶対に違う!と今は感じています。

このように自我の想念に引きずられて偽りの自分で生きていると、そんな当たり前で根本的なことすら認識できなくなります。
これはとても勿体ないことですが、実際に体験してみないとその勿体なさに気づけないという一面もあり加減が難しいところです。

でも我ながら、『ちょっとやり過ぎたな。もうちょっと早く気付いても良かったな』とは思います。
何事も程々にしておかないと心身の健康を著しく損ないます。

そんな気づきがあり先生方にご報告したところ、もう何回目になるか分かりませんが【神に委ねること】について諭されました。

感情も思惑も執着もあってもいい、しかしそれに執着せずに神様に委ねて応援していただき、自分一人の力ではなく神様の無限の力を借りて物事を進める。


道子先生が「自我でいる間は様々なことが手放せないのです。だから受け入れて認めてあげて。自我と魂の違いを感じ、自我を収めてあげるのです。」と教えてくださいました。

そうすることで進むべき道が開け、不安や悩みから解放されてリラックスしたありのままの自分に戻ることが出来る。

しかし、これが中々すぐに出来ないわけです。
だからこそ何回も教えていただいているわけですが……。

特に私のように「誰も助けてくれないから自分で何とかしなきゃ。」と思い続けてきた人間には理解するのが難しい、どうやったらいいかピンとこないと感じます。これは今まで自我による生き方を続けてきた影響です。

でも、慣れていないだけで難しくない、まずちょっとずつでもやってみることが大事と自分を励ましながら【神に委ねる】練習に日々取り組んでいます。

勝先生がいつも「薄い紙一枚でも幾度も重ねていけば分厚い束になるのと同じで、どんな些細なことでも継続して行うと必ず成果が出ます。」とおっしゃいます。

まさにその通りで、日々の積み重ねが今回の大きな気づきに繋がったとも言えるでしょう。学びを深め、小さな気づきを繋げていくと大きな気づきに繋がるということなのです。


そして、今回の気づきから学んだことは【いつも答えは自分の中にある】ということです。

しかし、その答えに辿り着くには周りを何重にも覆っているカルマや固定概念、生き方の癖など様々なものに目を向けて認め、丁寧に取り除いていく必要があるということです。

覆いを取る作業を進めていくと、「よく分からない、上手くいかない、自分には難しい、自分には出来ない、やるのが苦痛だからやりたくない。何が起こるのか怖い。」そういった感情が湧いてくる場合があります。

これは自我(肉体)と真我(魂)の摩擦で誰でも経験しうるものであり、この摩擦があるからこそ人は霊的に成長することができます

しかし、人は楽な方に慣れ親しんだ方に流されてしまう傾向があるため、多くは「辛いならやめる!楽な方が良い!」と学ぶことや行動することをやめてしまうのです。

もしくは、「早く出来る方法や近道があるはず。」と考えて、全く異なる方向へ進んでいってしまい、結局余計に物事を複雑にしてしまいます。

以前、先生方が「よく、こういった話をさせていただくと近道は無いのですか?と聞かれることがありますが、今私たちが話しているやり方が一番の近道です。これ以上のものはありません。」とはっきりおっしゃっていました

便利な世の中となり色々なものにかける時間が短くて済む時代となりました。
しかし、宇宙の法則やこの世の真なるもの、つまり普遍的なものにかける時間は今も昔も変わることは無いのです。

学ぶことも行動することも全て自由意志で誰にも強要することはできません。
しかし、魂はいつも私たちの中にあり、そして私たちが気づく時を迎え、目覚めるのを待っているのです。


「今日じゃなくても明日でいいんじゃないか、来世があるなら来世でもいいんじゃないか。」と思った時期が私にもありましたが、必ず明日や来世が私に訪れる保証なんてどこにも無いと気づき後回しにするのをやめました。

今回のコロナウィルスの影響で生活様式がガラリと変化したように世界は常に変化を遂げています。今のままの過ごし方が今後、更に変わってしまうことだって十分あり得るわけです。

その時、世界の変化に順応出来なかったならば、衰退の道を進まざるを得ないでしょう。

衰退したくない、進化していきたいと思うのであれば、古き覆いを綺麗に取り除いて自らを柔軟で身軽な状態にしておくことがとても重要なのです。


そのためにも日々の気づきが些細なものであっても大切にして、常に行動に移していきましょう。


■魂の光 プラクティショナー講座
(2021年春4期生募集予定)
詳細はこちら

■魂の光 マスタープラクティショナー講座
(現在 募集中)
詳細・お申し込みはこちら
再受講の方はこちら

魂の光 メンター講座
(2021年春4期生募集予定)
詳細はこちら

  • 2020年11月5日
  • カテゴリー :
大上院勝LINE公式アカウントはこちら

公式Line登録はこちら
console.log("postID: 8228");console.log("カウント: 242");