『御神言』と『三六九の儀』大上院勝とマドレーヌ道子の ~カルマ解消~ & Misogi Academy

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SOTAのSoul Journey 第3話 「避けられない因縁」

徳川家と島津家の3大因縁と言えば、


1つ目が 関ヶ原の合戦


2つ目が 明治維新



そして、三つ目は、
江戸時代中期に起きた事件であり、

島津家にとって屈辱の因縁となります

そのことについて、書きたいと思います。


もともと、徳川、島津両家は、源氏になります。



鎌倉の御家人、惟宗忠久(これむねただひさ)は、
源頼朝に推挙され、薩摩の守護地頭職(初代当主)となり、
島津を名乗りました。

惟宗忠久


江戸時代、徳川幕府にとって、政権を固めていくうえで、
外様大名の薩摩は、関ヶ原の合戦以降も生意気で目障りな存在です。

徳川幕府は幕藩体制を強化(主に外様大名の弱体化)するため、
河川の治水工事や築城などを行わせる御手伝普請(おてつだいふしん)を、
全額 または 一部を 藩の負担で行わせていました。

そして、その御手伝普請が、
薩摩藩に命令されることになります。


それは、

氾濫を繰り返す濃尾平野の木曽三川(木曽川・揖斐川・長良川)の治水工事について、
全額を薩摩藩負担で行わせるものでした。

 



薩摩藩では、
御手伝普請を引き受けるか否か、
大もめに…

・御手伝普請を断り、幕府との開戦を唱える強硬派
・藩の存続のため、御手伝普請を受け入れる派

協議がまとまらないなか、
家老の平田靭負(ひらたゆきえ)が強硬派を説得し、
幕府の命令を受け入れることになりました。

「幕府には腹立たしいこと極まりないが、
血気にはやって、源頼朝公から続いた島津家に、
万一のことがあってはならない。

我々が異国の民を助け、

後世に渡り、薩摩隼人の誉を語り継がせようようではないか」

これにより、
平田靭負を総奉行とする薩摩藩士、約1000名の武士達が、
刀を工具に持ち替えて、大工事を遂行することになりました。


工事は幕府の執拗な妨害を受けました。


完成した堤を破壊されたり、工事の追加や計画変更もあり、
予算・工期は大幅に超え、莫大な借金をかかえました。

平田靭負は、金策に奔走。

黒砂糖の専売権を担保にして大阪の商人から融資を受けました。



この治水工事で薩摩藩士51名が、幕府への抗議で自害

また、食事は一汁一菜の御布令が出されるなど、
劣悪な労働環境のなか、赤痢が蔓延し、33名が病死

幕府への抗議の切腹はお家取り潰しになることから、
平田靭負は事故死として報告しました。

平田靭負は、工事の完成を見届け、
総奉行として責任を取り、自害しました。

宝暦治水事件と言われるこの事件は、
島津家によって伏せられました。

大正9年、
鹿児島市内に建てられた薩摩義士の碑により、
地元でもこの事件が広く知られるようになりました。

平田靭負の祖父は、島津助之充でした。
助之充の娘が母になります。

もしかしたら、
ご先祖が囲碁の相手に家へ招かれた時、
子供の頃の靭負の母がいたのかもしれません。


>>>ご先祖と助之充の関係は前回のお話へ

言葉にならない一族の因縁

幕府のもくろみ通り、
薩摩藩の力を完全に削ぎ、
破たん寸前まで追い込んだ御手伝普請

このことが、
黒糖地獄へと突入する直接的な原因となったのです。

第4話へつづく…







令和二年 祝
初話し会 & 新年会のご案内


皆さまの元を訪れると同時に、開かれた場をつくって参ます。
その初め事としまして、
「全員参加のお話し会」を開催いたします。

【日程】
2020年1月25日(土)
お話会:15:00〜17:30
新年会:17:45〜20:00

【場所】
お話会:東京都渋谷区内の会場
新年会:お話会会場近く 徒歩3分

また、お話会後に新年会を行います。
美味しいお食事とともに語り合いましょう。

お話会のみ、新年会のみのお申し込みも可能です。

詳細・お申し込みはこちら

人数に限りがございますので、 お早目にお申し込みください。

  • 2020年01月22日
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