『御神言』と『三六九の儀』大上院勝とマドレーヌ道子の ~カルマ解消~ & Misogi Academy

香苗の体験談 Vol.3「土地がきっかけで起こった義実家との・・・ | 大上院勝とマドレーヌ道子の『カルマ解消』& Misogi Academy

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~真理と正しい人間関係を学び霊的成長の道を目指す~

香苗の体験談 Vol.3「土地がきっかけで起こった義実家との亀裂、明るいその後」

2022年07月9日

前回のブログで書いたのですが、
ご先祖様のこと、カルマのこと、神さまのことを
徐々に実感し始めた私に

神さまが与えてくれた次のテーマは
義理の実家に向き合うことでした。

 

前回ブログ「見えない世界の存在に驚いた私、世界が新しく見えた瞬間」

 

今でこそ、週末に義理の実家に遊びに行き
両親とご飯を食べたり、お酒を飲んだりと
色んな話をして盛り上がる関係になり、
こどもたちの学校のお迎えなども協力していただき
かなり助けてもらっています。

孫がくると嬉しいと喜ぶ義両親に
すっかり甘えている嫁です。

 

そんな私が、
遊びに行く度に続けてきたことがあります。
義実家の目の前にある
竹に縁ある神社に感謝を伝えに参拝することです。

 

はじまりは9年前。

義理の実家が、新たに家を建て直すかどうか
私たち家族も一緒に暮らすかどうか
というテーマが湧いてきました。

義理の実家は、
祖父母の代に求めた土地に暮らしていました。
亡き祖父と、戦後の苦労を乗り越えた先に
ようやく求めた土地であると
祖母がよく話をしていたので
思い入れのある地であることは伝わっていました。

 

その一方で、大地に残るカルマ、
大地に残る歴史的情報や人の想念などが
その後住む人にも影響を与えることを知っていた私は、

家を立て直す前に、
まずは道子先生に
大地のリーディングをしていただくことにしました。

 

結果、
そこは急な坂の下にある土地であり、
様々なエネルギーも集まって澱んでしまう土地でした。

エネルギーは本来循環した方がよいのですが、
滞ってしまう土地は
かなりの期間清めていく必要があり、
これから未来のことを考えると
新たなよい土地を探すことを選択した方がよい
よい場所が見つかります
とのことでした。

 

また、
すぐそばまで富士山の溶岩が流れて岩盤となっていて、
かつて亡くなった方々の御霊も埋もれている

その大地に滞ったエネルギーの影響で
イライラしたり、疲れやすくなったり、
病気になりやすくなる

隣家の家系のエネルギーが強い、苦しい

と聞き、

義実家の当時の様子とリーディング内容が
私の中でピンと繋がり、

これは大変!!!

とスイッチが入った私は、
義理の両親にも家族に伝えてみようと動き出します。

ここから、
私と義実家の間に小さな亀裂が走りました。

まず主人に伝えてみますが、
実家に任せるしかない
もう触れない方がいいという意見でした。

自分の実家を守りたい気持ちも受け止めましたが、
今後、私たちも一緒に住む可能性があるならば
真剣に向き合った方がいいと思い、

1ヶ月後には、
義実家の大地の儀を受け
清めていただきました。

 

ただ儀の際に
隣家の大地までは清め切れなかったので、
儀の翌日に、
自分の家で塩盛りするように教えていただき、
主人にも声をかけて2人で祈願しました。

あからさまに抵抗感のあった主人ですが、
祈り言葉も般若心経七巻も一緒に唱えていました。

意識までには上っていないけど、
主人の中にも、隣家との関係に対して
感じることがあったのだと思います。

 

すると数日後、
隣家の息子さんが夢の中に出てきて、
採れたての野菜をかごいっぱいに抱えて
持って来てくれたのです。
とても嬉しそうな笑顔をしていました。

息子さんは施設に暮らしていたので
私はお会いしたことはないのですが、
大地を清めたことに
ありがとうを伝えに来てくれたのが
はっきりと分かりました。

そんな出来事も後押ししてくれて、
義母にも大地のことを伝えていきました。

どう受けとるか、どう思われるかと緊張している割に、
伝えなくては!
という妙な使命感に溢れていました。

義母は下を向いて、「うんうん」と頷いてましたが、
言葉はなく、戸惑いの表情をしていました。
未知の話にこわさも感じたことと思います。

 

その後、義姉が実家に帰省した際に、
土地と新しい住居の話があがりました。

これからの時代は、
両親と一緒に住むよりは
離れた方がお互いにとっていいのでは?
といったアドバイスでした。
実際に義姉もそうしていました。

ただアドバイスの向こうに
緊張感のようなものも伝わってきていました。
(私が緊張していたからかもしれません‥)

私の中では、
義両親と同じ地で暮らす選択肢もあったので、
その場は、お話を受けとって終わりました。

 

でもその後、主人を通して、義理の実家から
「香苗ちゃんとは、しばらく距離を置いた方がいい」
と言われてしまいました。

ショックで涙が溢れてきました。

 

私の中では、
義実家との関係や未来が善い方向に
動くようにと願っていたのですが、
結果、怪しく恐れさせてしまい
距離を置く形になることになり、
なんとも言えない状況でした。

私やってしまった‥わからなくもないよ…
このまま離婚か‥
どうしよう‥どうしよう‥どうしていけばいいのか‥

結局、その後3ヶ月以上は、
義実家に足を運ぶことはできませんでした。

 

でも、じっとはしていられず
早朝、寝ている息子を起こさないように
そっと出かけて、
義実家の目の前にある神社に参拝に通いました。

義両親に見つからないように
ドキドキしながら、
私の伝え方を謝罪し
また繋げていただけるように
最善を祈り続けました。

 

その期間、
主人は、私と義理の実家との関係ついては言及せず、
これまでと変わらずに実家も家庭も
大事にしてくれていたことには救われました。

それからどのようにして
また義実家に行けるようになったかは
忘れてしまいましたが、
義父が声をかけて繋いでくれように覚えています。

色々とありましたが、
結果的には
当時暮らしていた土地にそのまま
新たに家を建て直すことにし、
私たちとは別々に暮らすことなりました。

その頃、義実家との関係性は
まだまだよかったとは言えませんが、
自分で蒔いた種は自分で刈り取ること
時間がかかっても
改めて関係を築いていくことを決めて

結果は委ねて
私に出来ることをしていきました。

 

義実家に寄る度に神社に参拝に行き、
日々大地と大地に暮らす方々を
守ってくださっていることに
感謝を伝え続けました。

出来る時には、
境内に溜まった落ち葉の
掃き掃除をさせてもらいました。

 

するとしばらくして
暗く澱んでいた神社の境内が
整備されることになり、
明るい光が入るようになったのです!

神社の名前にも使われている竹も
綺麗に植えられたのです!

大地の儀を終えて、
重たかったカルマが清まっていき、
神さまが降りてこられたのを見せてもらいました。

色々あったけど、
信じてきてよかった‥と安堵しました。

 

そして、義実家は古い家を壊して
新しい家を建てて暮らし始めています。

 

義祖母は、
90歳過ぎに自分の部屋を持てて喜んでいましたし、
義両親も新しい家での生活を楽しんでいました。
また義姉の家族とも
笑顔で会えるようになりました。

 

それから数年が経ちましたが、
先日、義父がお酒を飲みながらこんなことを言っていました。

 

「今、この家に住んでいて、
香苗ちゃんたち家族とも
週末に会える距離がちょうどいい。
前に、一緒に住む選択もあったけど、
おじいちゃん自身にとっても
香苗ちゃんたち夫婦にとっても
孫との関係においても
この形が一番よかったと思う。」

その言葉に、深く頷いていた私です。

何が正解かはわかりません。
また別の選択もできたかもしれませんが、
その時私がとれる最善は尽くしたので、
今が一番最善の形なのです。

 

当初の私の使命感からくる行動が
義理の家族との間に亀裂を走らせた事実は変わりません。

でも、祈り、出来ることを続けて、
今こうして家族がそれぞれの場で
笑顔で幸せに暮らしていることも事実です。

 

神さまが応援してくださっていることも
節目ごとに表してくださっています。

私は、
義両親の穏やかな生活と笑顔を思うと
伝えてみたことに後悔はありませんし、
大地のカルマを清めることで
義実家とも真剣に向き合えたことに感謝です。

これからも、
私に出来ることを淡々と続けて
家族の平和と明るい未来を祈っていきます。

 

そして‥
気づきの出来事もあったので、載せておきます。

 

一時期、
もう安心して義実家の大地に
毎月の塩盛りをしないでいたら、
実家の目の前で
義父の車と自転車の事故が起きてしまいました。

 

怪我はなく、小さな衝突で済んだのですが、

「決めたのならば、清め続けなさい!
大事な実家の大事な大地です!」

と、神さまから厳しい愛のメッセージでした。

 

今後も、
大地への感謝を持ち続け、
塩盛りも続けていきます。

 

<<香苗の体験談Vol.2「見えない世界の存在に驚いた私、世界が新しく見えた瞬間」

人間関係トラブルの背景〜会社を清めた体験〜

2022年07月2日

大上院事務局スタッフのやすこです。

先日、夫が勤める会社の三六九の儀を行っていただきました。
そこに至った過程と、お清めした後の変化の体験を紹介します。

 

ちょうど1年ほど前のこと。
私は夫の会社の塩盛りを始めました。
社内トラブルが多発しており、夫がとてもしんどそうだったからです。

塩盛りをして、お盆を棚に入れようとしたところ、
なんと塩盛りのてっぺんが棚にあたって、
山のてっぺんがなくなってしまったのです!

私はびっくりして、
「これはまずい。何かある」と直感的に思いました。
なぜなら、この時、他に同時に行った塩盛りには何も変化はなく、
会社の塩盛りだけこのような状態になったからです。

塩盛りをした時、ひび割れる、水で湿ったようになる、などの変化の他に、
塩盛りのお盆を移動する時にどこかにぶつけたり落としたりすることも
意味があることだ、と教わっていました。
だから、今社内がざわついていることを表しているのだろう、と受け取ったのです。

 

そして数日後、夫から驚くべき事実を聞くことになります。

「同僚が不当解雇された」と。

すぐに塩盛りが頭に浮かびました。

先日の、てっぺんが無くなった塩盛りは、
解雇(首を切る)という意味だったのかと、鳥肌が立ちました。
塩盛りが教えてくれたメッセージに心底驚きました。。

これは三六九の儀を行った方が良いかもしれない、と思う一方で、
経済的なこともあり、まずは自分で塩盛りとお祈りを続けました。

 

半年ほど経って、解雇された友人が法的に訴えた、という話を聞きました。
そしてこのところ、夫の怒りが増幅してきていることに気づきました。
とにかく社長に対する怒りが大きく、自宅で怒りを日々爆発させており、
就寝中もうなされていることもあったからです。

転職したいという話も出始めました。
しかし、仕事そのものは大好きで、自分がやりたいこと、得意分野を活かせている状況。
どうにかならないだろうかと思っていました。

 

その頃、私は久しぶりにファスティングをしました。
すると、夫が夜帰宅すると、家の空気が変わり、重~くなることに気づきました
初めは気のせいかな?と思いましたが、翌日も同じ。
それを先生方に相談してみたところ、それは「会社の重さだ」と教えていただきました。
ファスティングによって、私の感覚が繊細になり、
微細な部屋のエネルギー変化に気づけるようになっていたのです。
夫が「会社から纏ってくるエネルギー」に気づいたのです

そこで、私はそのことを夫に伝えてみました。
すると、社内で揉め事が発生していたことが発覚したのです。
会社で取り扱っていた製品にクレームが入ったことへの対応に問題があったことがきっかけで騒動が起きていたのです。

 

また、ちょうどその時に行った塩盛りは、
塩盛りしている最中に、中の乾燥剤が塩の上に落ちてしまったり、
移動時にひびが入る、ということが起きました。

そこで、これはもう限界だ、三六九の儀を行って清める方が良いと思い、
先生方にお願いすることを決めました。

 

 

本来は、夫に一緒にお祈りしてほしい気持ちがありました。
なぜなら、本人の思いが第一だからです。

しかし、夫は社長に怒り心頭、さらに仕事を辞めたい一心でした。
ですので、会社を清めてよくしよう、というお祈りをすることは到底難しそうでした。そこで、私は一人で儀をお願いすることにしました。

そして、不思議なことに、不安があった三六九の儀のお納め料も、
なぜか忘れていた預金通帳を発見して、すんなりお支払いすることができました
神様のお導きとしか思えません。

 

さて、三六九の儀当日のこと。

朝、サロンに向かう電車が、沿線火災によって遅れました。
この遅れには何の意味があるんだろう?と思っていたところ、
激混みの車内で、中国語で大きな叫び声が聞こえました。

はじめは、うるさいな~と思っていましたが、
ハッと「夫は中国担当の部署であった」ということに気づいたのです。

夫が勤める会社は海外取引が多く、
アメリカ、ヨーロッパなど地域ごとに担当者が決まっており、
夫の担当は中国であったことを思い出したのです。

そして、
この会社は会社自体のカルマだけでなく、
国や民族のカルマも関係している
ということは、とても重いだろう」と気づきました。

 

サロンに着いて先生方にお話しすると、こちらの会社は、
会社の社内の人間関係に前世からの大きな因縁があることがわかりました。

社長は前世から同じ事業をしており、
前世では事業を失敗していること、
そして今世の社員と一緒に働いていたというのです。

ご主人の友人が解雇されて裁判で戦う、という構図も、
前世と同じことを繰り返されているだけ。

やったらやり返す、やり返される、というこの関係は、
因縁を解いて和解しなければ、根本的には解決しないのです。

私が不思議だと思っていたことの1つに、
我が家の最寄り駅には、なぜかこちらの会社の社員が何人も住んでいる、
ということがありました。
それもまた、前世からのグループのご縁で引き寄せられているとのことでした。

 

そして、夫から聞く話でも、人間関係のトラブルが多数あることを感じていました。
上司と部下という上下関係、
男性と女性の色情的なもの、
敵対する関係などがたくさんあったのです。

そして、実際に三六九の儀を行っていただきました。
祈願文の最後が苦しくて苦しくて読むのが大変でした。
声がなかなか出ませんでした。

般若心経を読んでいる時には、自分の意志とは別に、
首をブンブンと大きく振られてびっくりしました。

大上院先生から
「会社の中では、みんなそういう状態だということを体験した」
と教えていただきました。

ヘビー級に重い会社で、儀を行っても、まだ半分くらいしか清まっていないと。
それでも半分清まっただけで相当軽くなったとのことでした。
そんなに重かったのかと驚いてしまいましたが、それも納得しました。
自分の身体もとても軽くなっていたからです。
夫もずっとこの重さを背負って働いていたわけですね。

あまりに重い会社だったので、道子先生は
「社員1人1人に気づかせてください」
と神様に祈ってくださったそうです。

そうです、神様が大きい重荷はおろしてくださいましたが、
これから先は、社員1人1人が因縁に気づいて、和解して、
そこに愛を注いでいかなければ、解決しません。
会社としても発展はありません。

私も日々お祈りを続けています。
夫、社長、社員、関係する取引先や御霊たち、皆さんに向けてのお祈りです。

 

さて、三六九の儀が終わった夜のこと。
夫が、なぜか「津軽海峡冬景色」を歌いながら機嫌よく帰宅しました。
「今日は会社どうだった?」と聞くと「まぁまぁ」と返ってきて、
思わず笑ってしまいました(笑)

いつもは怒りでいっぱいで帰ってくることを考えたら、
だいぶ緩んだことを感じました。

そして1週間ほど経ち、会社の様子を聞いてみると、
穏やかに話をしてくれて
「あれ、社長の話をしても怒りが湧いてこないなぁ」言うのです。
夫がまるで別人のように穏やかに変化したことを実感しました。

そしてその後、1人の社員が退職されることになりました。
夫は頼りにしていた社員の退職に、ややショックを受けていました。

会社全体のお祈りをしているので、
その会社・社員、関係者全員にとって最善の方向に動いていくことになります
儀をきっかけに、動き始めたのですね。

私は、夫も会社も皆が最善の方向に向かうように日々祈り続けています。

体験談は以上です。

 

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香苗の体験談 Vol.2「見えない世界の存在に驚いた私、世界が新しく見えた瞬間」

2022年06月25日

実家のご先祖様のカルマを解き始めた時から、私の生き方は変わっていきました。

これまで、何事においても、
まずは自分の力を伸ばすことが未来につながると信じていた私は、
勉強もスポーツも仕事も、理想を描いて遊ぶ間も寝る間も惜しむほどに、
努力を重ねて生きてきました。
また人のお役に立つためにも、
やはりまずは「自分の力」をつけることが大事だと思って生きていたのです。

努力によって道は拓けると、『自分』の力を信じていた私でしたが…

家系のカルマを解き、ご先祖様との繋がりを実感し始めてから、
『自分』とは何だろう?
と思い直すようになっていきました。

ご先祖様との繋がり?
見えない世界? 見える世界?
見えない存在? 御霊たち?
私が見てきた世界は、ほんの一部?
私は、誰だろう?

これまで自分が知る世界の中で懸命に生きてきたのですが、
概念がガラガラと崩れて、私の中に新しい世界の見方が生まれていきました。

 

私の父方母方双方の祖母ともに、とても信心深く、
毎朝毎夕、お仏壇の前で手を合わせてお供えする姿を知っていたので、
幼い頃からご先祖様の大切さは肌で感じていました。
両親もお盆、お彼岸のお墓参りは欠かさず、
私も祖母宅に行くとまずお仏壇にお線香を立てて、
ご先祖様にご挨拶する習慣が身についていました。

ご先祖様を大切にできていると思っていた私は、
儀の際に、ご先祖様が亡くなってからも苦労や苦難をずっと引きずっていて、
子孫に助けや救いを求めていたことを知った時に、
「まさか‥自分のご先祖様が代々苦しみを抱えていたとは‥」
と受け入れがたい驚きを感じました。

でも、その後、ご先祖様の声と家系の現実が繋がったことで、
一生懸命供養してきた行為が「ご先祖様を大切にできている」
という自分の解釈や満足ではなく、ご先祖様の真の声に意識を向け始めたのです。

また、見えない存在に未知の恐れを抱いていた私は、道子先生と初めて話をした際に驚きの会話をしたことを覚えています。

「もし、誰かが目の前で困っていたら、あなたは助けてあげますか?」

「はい」

「では、ご先祖様(見えない存在)が目の前で困っていたら、助けてあげますか?」

「はい‥」

「見える私にとっては、見える人も見えない人も同じなんですよ。」

と話す先生のまっすぐな瞳を見て、私の中に一筋の光が走りました。
これまでは自分が理解可能な範囲で、
人の役に立ちたいと制限していたことにハッと気づきました。
その場では理解はできていなくても、
ご先祖様が困っているのであれば力になると決めた瞬間でした。

当時0歳の赤ちゃんがいる生活でしたが、毎朝のルーティンに“祈り”を取り入れ始めました。
初めは教わったままに、祈りの言葉、言霊、般若心経を唱え始めました。
また台所の棚の上に、小さな神棚と空間を用意し、水・米・塩をお供えし始めました。
ご先祖様への感謝の想いと労いと、かつてご先祖様が苦しめていた縁ある御霊たちに
謝罪の想いで、とにかく続けていきました。

清めていくうちに、近所に、かつてご先祖様が関わっていた処刑場の跡地があると知り、
すぐに祈りをあげに行きました。
その跡地に行くと、鳥肌が立ち、身体がどっと重たくなった体感と頭痛が襲ってきて、
亡くなられた大勢の御霊たちを清めるためにも、祈りを続けなくてはと‥
改めて感じたのでした。
この時はまだ、子孫としての責任感と見えない存在への怖さから
自分を守るために祈りを続けていた感覚でした。

赤ちゃんがいる中で、祈りを続けることの大変さを感じた時もありましたし、
できなくても仕方ないよねと思う時もありましたが、
当時、一番応援してくれていたのは赤ちゃんだった息子の存在でした。
元気に動き回る息子でしたが、毎朝、祈り、言霊、般若心経を唱えている時間は、
私に抱かれてとても穏やかでニコニコしていたのです。
赤ちゃんは、神さまのところからこの世界に生まれたばかりの存在で、
神さまと見えない世界と繋がり続けています。
その子が落ち着いている様子をみると、祈りが届いているように感じられました。

そして、大上院先生にも
「自分自身が祈りを届けるのではなくて、神様を通して、祈りを届けてもらう」
のだと教わりました。
そこから私の中に、神様と一つになって祈るという意識が生まれたのでした。
神様と仲良くなったようで嬉しくなり、
自分がやらねばという責任感からくる力みも緩んでいきました。
祈ると身体が温かくなり、私にとって心地がよく、
続けていきたい時間へと変化していきました。

「祈り」には「神の意に乗る」という意味が重なっているそうで、
私の祈りを神様に届け、神様の導きによって清めていただくのです。
それを知り、私は独りよがりな願いや不安を解消するための願いではなく、
「神様と一つ」になって祈れているかどうかを意識し始めるようになりました。

いつしか、祈りは廻って、
過去の苦難から解放されて清まっていったご先祖様や御霊たちが、
今度は私たち子孫を見守ってくださる強力な存在となっていくことを
体感するようになっていきました。

毎朝、子どもと一緒に高台から朝陽の出る方角に向かい、
住まわせてもらっている大地とご先祖様に感謝の祈りを捧げていると、
まぶしい光が差し込んできました。
その光が日に日に優しく広がっていくのを感じました。
大雨が降った際には、遠くの雲の上に、
ご先祖様のいる世界、神様の世界とも感じられる
まばゆい黄金の光の一帯を見せてくれました。

他にも、空を見て語りかけているとカラスが「カーカー」と鳴いて応えてくれたり、
群れが一斉に飛び立って注意を促してくれたりもしました。
また、玄関のドア前にカラスの大きな羽が一枚だけ落ちていたこともありました。

こうして鳥や動物を通して、
神様の存在をわかるように感じさせてくれる出来事が続いていきました。
神様やご先祖様が見守ってくださっている実感を持てるようになっていきました。

また、不思議な話ですが、ある日のこと、
山の中で田舎暮らしをしている友人宅に遊びにいきました。
畑が広がる中に、ぽつりとお墓が立っていました。
まだ見えない世界をよく知らなかった私は、有名な墓と聞いて、
どうか清まるようにとその場で般若心経を唱えました。
その時小さな息子がそこにあった石を一つ手に持ったのですが、
帰りの車の中まで握りしめていたのです。
なんの気なしに主人の運転する座席の肩部分に置くと、
主人は突然腰が痛くなってきたと訴え出しました。

無事に帰宅することはできたのですが、
家の電化製品の動きが悪く、何かがおかしいと気づいて道子先生に相談すると、
石は土地の記憶を持っているそうで、石からの影響であると知りました。
石のあった墓は平家の将軍の墓で、かつての戦国時代、
落ち武者となってその地に逃げて暮らしていたということでした。
そのお墓で般若心経を唱えたものですから、
抱えている苦しみを知らせてきたのでした。
軽率な行動をお詫びし、石をお塩で一晩清めて改めてお祈りして、
翌日戦に関わっていた川へと戻しに行きました。

 

この一件は、私が普段見えている世界と見えない世界が影響し合いながら、
共に存在している事実を身をもって知らせてくれた出来事でした。

それから私は、大上院先生と道子先生から、
見えない世界とのかかわり方を真剣に学び始め、
「自分の力」で生きるのではなく、神様と繋がる生き方へと歩みを進めていったのでした。

不思議でもなく、怖いでもなく、

私たちは見えない世界の上に見える存在として生きているのですね。

カルマを解き始めてからの私と家族の変化は、次のブログへと続きます。

 

<<香苗の体験談Vol.1「ご先祖さまの重い重いカルマを1人で背負ってきた父』

香苗の体験談 Vol.1「ご先祖様の重い重いカルマを1人で背負ってきた父」

2022年06月11日

新しいブログ連載が始まります。

「鈴木香苗さんのカルマ体験談シリーズ」です。

静岡県富士市にお住まいの香苗さんの
大上院先生・道子先生との出会いは9年前。

静岡県富士市は、
【源平の合戦】で有名な富士川があり、
戦国時代には数々の戦場となった土地なのです。
その重いカルマの土地で生まれ育った香苗さん。

そんな香苗さんの、
三六九の儀から始まったカルマを清め続け、
困難から抜け出して夢を実現するまでの体験談の連載がスタートします。

 

===

私が、大上院先生、道子先生に初めてお会いしたのは9年前です。

当時、私は長男という新しい命を迎えて、家族で幸せな日々を過ごしていました。
両親もとても喜んでくれていました。
ところが実家では、解決方法の見えない出来事が次々と起きていて、
両親は生活することが精一杯の状況でした。

でも、その問題に目を向けても進む方向が分からない、解決できるかわからない、
だから、目の前の出来事に対処して生きていくことしかできなかったのです。
そうした両親の苦労を感じながらも、
私もどうしてあげることもできない日々が続いていました。

父は30代後半で会社を立ち上げてから、順風満帆のスタート切り事業を展開させていました。
しかし、不景気の波が押し寄せてきてから、次第に会社の経営も回らなくなり始めました。
それでも、未来を信じて、借金をして立て直しを図ろうと懸命に働いていました。

 

その頃、私の4人兄弟の末の妹が大学進学をするにあたり、
家庭内でもこれまでは伏せてきたお金の話題が飛び交うようになりました。
学費や下宿費をどうするか、仕送りをどうするか、奨学金で何とかなるか、
会社の借金もある、お金が回っていくか‥
そんな中でも妹は努力の末、都内国立大学に進学が決まり、
お金の心配を抱えながら家を出たのでした。

 

父は、会社の経営がうまくいかず、日に日に飲酒量が増えていきました。
もともと出かけて人と会うことが好きな性分でしたので、
夜も飲みに出かけて日が変わっても家に帰らないことが毎日のように続きました。
その上、夜十分に眠れている様子はなく、朝早くに仕事に出かけてまた夜中に帰ってくる。
十数年前、子どもが生まれてから一度やめていたタバコもまた吸いはじめ、吸う量も徐々に増えていく。
家族みんなが、父の身体を心配して声をかけても、聞く耳は持たない。
段々と家庭内でも大きな声を出して怒ることも増え、ピリピリした空気が漂っていました。

そうかと思えば、私の前では
「お母さんを幸せにしてあげられないのが悔しい」と涙を流すこともありました。
きっと父もこのままではいけないと気づいてはいるけど、
どうにもしようがない状況だったのでしょう。

 

その頃、母の知人から、

「あなたたちのご先祖様の影響で私の顔がこんなに腫れてしまった。
とにかく早くご先祖様を清めなさい。一緒に東京の先生の所へ行って。」

と母に連絡がありました。

突然の連絡と出来事に母もよく理解できないまま、
まるで蜂に数十箇所も刺されたように腫れあがった知人の顔を治すために、
大上院先生と道子先生のもとに新幹線に乗って急遽行くことになったのです。
これもご先祖様と神さまの導きでした。

 

母が先生方のところから帰ってくるとすぐに姉と私は呼び出され、

「いい?よく聞いて。私たち動き出すよ!
ご先祖様のため、ご先祖様が苦しめた人々のために、お祈りを始めるよ。
あなたたちの世代、この子たち孫の世代にも、ご先祖様の作ったカルマは流れ続ける。
今、その流れを変えられるなら動き始める。
一緒に動いてほしい。」

と、まっすぐな目と揺らぎない言葉で伝えられました。

 

私は、話の内容を理解したというよりも母の真剣さを受け取り、
今が大きく動く時なのだという直観と共にその日から「祈り」を始めることにしました。

私たちの住んでいる大地には、
富士下方五社と呼ばれる五つの神社と浅間神社が存在するのですが、
ご先祖様と関わりの深い神社であったことを知り、
母と共に毎週末早朝に参拝することになりました。
父も母に連れられるようにしてついてきました。
表面では、しぶしぶとした態度であっても、
きっと父自身も神様にすがる思いであったのでしょう。

 

各神社では、

「ご先祖様方、生前は大変ご苦労様でした。
私たち子孫に真実を教えてくださったこと、感謝申し上げます。
また、無念の思いのまま苦しめて続けてしまった大勢の御霊さん方、
大変申し訳ございませんでした。
神様の愛と光で霊界に導いていただけますように。」

と労いと感謝と謝罪に廻る日々でした。

 

私の祖父から七代前のご先祖様は、小長井山城の上(コナガイヤマシロノカミ)と呼ばれ、
当時、介錯(※)の役目を賜っていたそうです。
戦国の時代には、関東と関西を分ける要の地として強軍の影響を受けてきたため、
厳しい処罰や敵方の見せしめもあり、介錯という役目も必要かつ、重要でした。

そして、人の命を途絶えることに携わるので、
信心し、仏の供養も怠りなく修業していたのでした。
介錯に使われた刀も、神より賜るご神器であり、
神のご加護と罪を清めるためにご神事にも修業していました。

当時は家をあげて祭り事をしていたのですが、
代が変わる度に、心、精神が堕落し、修業を怠るようになり、
「自分たちが偉く、自分たちがすごい」
と勘違いをし、本来の神との繋がりも薄れていったのです。

(※介錯‥切腹する人のそばに付き添っていて、その人が刀を腹に突き刺すと同時にその首を斬って、死を助けてやること)

その頃から、処刑されて亡くなった方々が霊界へ行けなくなり、
特に恨み、無念、生きることへの執着のある者たちがこの世に残り、
無念を晴らそうと、土地の人々、小長井家の子孫に影響を及ぼすようになりました。
実際に父の事業を立ち回らなくさせたのも家系のカルマの表れであり、
霊界に還れずに苦しむ御霊たちからの念があり、
早く本来の役目に気づけ!というご先祖様からのメッセージでもありました。

 

私たち家族は、道子先生を通してのご神言(ご先祖様の話)を初めて聞いた際に、
疑いではなく、確信が持てたのでした。

これまで家系に、自分たちは“首切り族”だと面白おかしく伝えられてきた話、
家に刀があったという話、
代々男性が短命であった事実とそれに気づいた祖母が熱心に信心し続けてきた姿、
親族が作った家系図に小長井山城の上(コナガイヤマシロノカミ)が記載されていたことなど‥
これまで、真実を隠すように絡まり合っていた紐がスルスルと解かれていく感覚でした。

また、母が、なぜ私は父と結婚したのか謎で仕方ないと言い続けてきたのですが、
この家系のカルマを解くお役目があったのだと知ると腑に落ちたようでした。
(両親は前生でも夫婦で、今生では夫婦共に人々に御恩返しをする使命があるそうです。)

そんな折、また早急に儀を受ける必要が出てきました。
父の背骨のお清めでした。
家系のカルマの上に、父個人の過去生からの影響も重なり、傲慢な意識が刻まれていて、
母と私たちにも影響が出ているとのことでした。

家族は、父が
「怒るか、怒らないか」「いいと言うか、ダメと言うか」
で何事も判断するようになっていました。
父を気にしながら生きる家族となっていたのです。
しかし、家系のカルマと父自身の背骨を清めていただいた後から、
徐々に父に変化が起こっていきました。

 

まず変わったのは、父ではなく母、姉、私でした。
これまで、父には何を言っても聞く耳を持たない、怒る、怒鳴る、体調は悪化する‥
それに耐えられず、父を何とか変えようと必死であった周りの家族が、
父個人だけの問題ではなかったことに気づき、受け容れ始めたのです。

父の肩には、7代前から続く家系のカルマが重たくのしかかっていたのです。
その目に見えないカルマの重圧に、父個人ではどうにもしようがなく、
誰にも気づいてもらえず、分かってもらえず必死に生きてきたことをようやく知ることができ、父に影響を及ぼしていた背景に目を向け始めたのです。
そして、父に対して、怒りではなく慈しみの思いを向けるようになりました。
また、この環境下で4人の子どもを育て生き抜いてきてくれた父に、
改めて感謝の想いが膨らむのでした。

 

母や姉、私からかける言葉も変化し、父は段々と柔らかくなっていきました。
まるで、これまで自分を敵から守るためにがっちりと装備していた見えない鎧を、
ゆっくりと下ろし始めたようでした。
家族の前でも何を言われるかと恐れ、威嚇していた様子から、
子どものように無垢で優しい、素の父が出てくるようになったように感じています。
鬼のように怒ってばかりだった父が、
今は目頭が下がった優しいおじいちゃんになりました。

 

9年が経ち、ご先祖様から流れてきた家系のカルマの重圧から解かれた父は、
今は自身が作ってきた今生のカルマと病に向き合い始めています。
私たちも父が父らしく生きていけるよう家族で応援しています。
当時の父の張りつめた様子、緊迫した家族の空気を思い出すと、
母の直観と行動力ですぐに儀を受けて、
ここまで清め続けてこられたことに心から感謝しています。

カルマを背負っていた父、そのカルマを解くために結婚した母。
2人の長年に渡る大変な苦労と儀を受けてからの変化を改めて振り返ると、
自然と涙が出てきます。
両親のもとに生まれてきたことに感謝です。
そして、ここに生まれると決めた私たちも、勇気ある存在だ!
と誇りを感じています(笑)

カルマを解き始めてからの私と家族の変化は、次のブログへと続きます。

三六九の儀から起こった家族の変化

2022年06月4日

こんにちは。

大上院スタッフのやすこです。

大上院先生・道子先生と出会い、
自分のルーツであるご先祖様に意識を向け、
カルマを解く生き方を始めて、
早いもので5年が経ちました。

それによって、私自身も大きく変わりました。
私自身の変化は、先生方の元で継続している「魂の学び」を経て、
「魂で生きること」へシフトしています。

だからこそ、最近は家族の変化を感じることが度々あります。
今回はその体験を紹介します。

 

▼先生方との出会いや、カルマを解き始めた頃についてはこちらのブログ参照
目に視えない世界への扉 ~瑆が「ご先祖様」や「視えない存在」に親しみを持つまで~

 

始めてしばらくは、何も変化は感じませんでしたが、
改めて振り返ってみると大きな変化が起きていました。

 

私の家族は、両親、妹、私とそれぞれに独立して住んでいます。
もともと、必要な時以外は連絡を取らない家族でした。
年末に帰省する時や誕生日くらいで、普段の些細な会話もなければ、
ましてや相談ごとや、込み入った深い話はしませんでした。

 

私の辛い経験として強烈だったのは、
20代の頃に当時おつきあいしていた彼と旅行に行こうとして、
両親に旅行の報告をしたところ、両親に勘当されかけたということがありました。
この時に両親に対しては憎しみの感情さえ持っていました。

 

また、これまでも不安症である両親には、
何事も相談はできないし、したくもありませんでした。
お墓参りも、ほとんどしていませんでした。

 

三六九の儀の後、両親の家系(母方、父方)の先祖へのお祈りや塩盛りを続けました。
さらには自分自身を成長させたい、
自分の人生の夢を実現させたいと
魂の光スクール(現在:魂の覚醒メソッド)で学んだこともあり、
まず私自身が変わり、両親との関係にも変化が見られ始めていたところ、
新型コロナウィルスの流行がきっかけになって、大きく変わりました。

 

それは、家族のLINEグループを作ったこと。

この時は、コロナで面会もできないというニュースを見て、
離れて住んでいる私たちは、
「家族の死に目に会えないかもしれない」という恐怖に襲われ、
命の大切さ、今という時間の大切さに気づきました。

そして、
「もっと家族を大切にしよう、コミュニケーションを取ろう」
と思ったのです。
今日が最後かもしれない、今のままだと後悔する、と思いました。

 

とはいえ、家族でLINEグループを作ることは、
以前なら想像だにできないことでした。

意外にも、提案するとすぐにグループが作れました。
はじめはよそよそしかったのですが、
徐々にごく普通のやり取りができるようになりました。

新型コロナウィルスについて意見交換をしたり、
父の趣味のボウリングの話であったり…
日々の会話を楽しむことができました。

また、私は昨年結婚しましたが、
今では、夫もグループに混じえて、
家族の範囲が広がり
グループで楽しく会話ができることに
家族もこうやって変化していくのだなと、驚きと喜びを感じています。

 

また、神や、祈り、ということに対して、両親は抵抗がありました。
初詣には当たり前のように行くのですが(笑)

私が神様の話、お祈りの話をすると、
「それは宗教だ!」
といい顔をせずむしろ心配されましたが、
今はそれも和らいできたようです。

 

例えば、私の家族には、氏神様にお参りするという習慣がありませんでした。
お正月に帰省した時に、
「実家の氏神様にお参りしてなかった!」
ということに気づいて、家族で一緒に参拝することを提案しました。
はじめは拒否されるかな?と思いましたが、一緒に行ってくれました。

 

実は、母は知りたかったけれど調べてなかったそうで、
父は全く興味がなさそうでした。

それが、一度参拝したら、氏神様は両親の散歩コースになりました。
今では頻繁にお参りしてくれています。
春には氏神様の桜の写真を送ってくれたりと、
住んでいる土地を大切にしてくれているのが伝わってきます。

とてもありがたいことです。

 

 

また、昨年のお盆のできごと。

「両親も親戚も変わった」
と実感した出来事がありました。

「今年のお盆は帰省できないけど、私はこっちでお供えしてお祈りするね」
と父に連絡したのです。

すると、父からこんな返信がきました。

「我が家の仏壇にも、
簡素化ではありますが「盆棚」を飾り、
ご先祖様をお迎えしております。」

以前はここまでしていなかったのです。
いつの間にか、ご先祖様をおもてなしをするようになっていて、
私は驚いてしまいました。

 

そして、お供え物の立派な夕張メロン。
母の姉から「お供え」として贈られてきたそうですが、
なんと初めてのことだったそうです。

 

「お供え」を送ることは、きっと伯母さんの気持ちが緩んだからですね。
カルマを解いてきたからだなぁと、実感しました。

先祖のカルマを解くと、
ご先祖様はもちろん、ご先祖様と縁のあった人の因縁が解けていく。
御霊さんたちが楽になると、生きている私たち、
関係する親戚までもが楽になり、楽になってくるということです。

 

私自身、はじめは自分の生まれた家族にしか意識が向きませんでしたが、
徐々に親戚にも意識が向くようになってきました。

▼それはこのブログにも書きました。
年の瀬に、家系図を見ながら感じたこと

 

《家系のカルマ》という大きな覆いの中にいると、
カルマという靄(かすみ)がかかって見えないのですね。
それは、自分が靄の中にいる時には気づきません。
自分がそこから出て初めてわかります。

そして、まだ靄の中にいる人が、がんじがらめになっている様子も
なんとなく分かるようになってくるのです。

 

そこには、日々お祈りや塩盛りを続けてきたことや、
お話会で他の方の体験談を聞かせていただくことで、
自分自身の目線や視点も広がってきたこともあります。

 

先日、お塩盛りをする時に、
「父方の伯母は伯父とどこで知り合ったんだろう?」
と突然疑問が湧いて、後で父に聞こう、と思ったのです。

 

その晩、大上院先生の満月瞑想会に参加しました。

すると、瞑想中にとても左股関節が痛みました。
もともと弱い部分ではありますが、瞑想に集中できないほどの痛みでした。

終了後のシェアで話をしてみたところ、その痛みは
「伯母が嫁いだ家系のご先祖さまの影響だ」
と言うことがわかったのです。

しかも、その家系はかなり重いカルマがあることを
道子先生を通して教えていただきました。

まさか股関節の痛みがその家系の影響だったと知って驚いてしまいましたが、
まずは、日中のお塩盛り中に疑問が浮かんできたということが、
ご先祖さまからの訴えであったわけですね。

瞑想会終了後、すぐに塩盛りをしてお祈りしました。

 

後日、この話を《心の扉を開く》お話会の時にしたら、
ある参加者さんのZoom画面が固まり、勝手に落ちてしまいました。

後でその参加者さんに聞いたら、
「私(やすこ)のご先祖さまが何か訴えている、しかもかなり重い」
と感じていたそうです。

なぜなら、
通常は落ちてすぐに自動的に立ち上がるはずのZoomが戻らず、
何らかの声も発していた、というのです。

そこで私は、改めて父に連絡して、この家系のことを聞きました。
精神的な病をお持ちの方が多いことや、
伯母が亡くなってから困窮したという話を聞くことができました。
私が知らなかったことばかりで驚きましたが、話ができてよかったです。
この時が、知るタイミングだったのでしょう。

 

こうして、自分の家系が清まっていくと、
清める範囲が親戚へと広がっていくのだなぁと実感しました。

霊界で楽になったご先祖さまが、
啓蒙活動をしてくださっているのかもしれませんね。
「あそこでカルマ解くといいよ!」と。

私にとっても、ご奉仕できる範囲が広がることはありがたいことです。

こちらの家系は、ゆくゆく儀を行った方が良いと感じますが、
時期はまた何かの出来事が教えてくれるでしょう。
目の前に起きていることを見逃さずに行って参ります。

 

また、先月のこと、
父の実家であり、
現在は父の兄が住んでいる場所(仙台市泉区七北田)
が突然思い出されました。

気になって仕方がなく、どうして何度も思い出すのだろう?
何かあったのかな?
と思い、父に連絡しました。

すると、最近は兄と連絡とっていないからわからないとのことで、
何かわかったら連絡をもらうようにお願いしていました。

私は、気になった父の実家の土地と、父方の家系の塩盛りをしました。
すると、大きくひび割れたのです!

 

 

何のメッセージかな?と思っていたら、翌日父から連絡がありました。
ちょうど1週間前に、
祖父が亡くなった場所に参詣したことを思い出した、というのです。

父方祖父は、
私を大上院先生・道子先生に引き合わせてくれた人であり、
生前お会いしたことはないのですが、
私はとても身近に感じている存在です。

このブログにも書いたのですが、祖父は自死しています。
私は交通事故で亡くなったと聞いていましたが、
御神言でそれは違っていたことが明らかになりました。

 

そして、祖父が亡くなった交差点は、
昔、伊達藩の処刑地であり、約7,000名もの人が亡くなった場所です。

ここでは交通事故が多発し、仙台市が慰霊碑を建てました。
また、心霊スポットとしても取り上げられるほどです。

と言うことは、
ここで苦しんでいる方がまだたくさんおられるということです。
この交差点のことは、仙台市のホームページにも書いてあります。

この場所に、父は時々参詣しているのですが、
ちょうど1週間前に行ったそうなのです。
私の連絡でそのことを思い出し、
母と相談して、翌日2人で改めて参詣してくれたのです。

その交差点の「交通事故死没者慰霊塔」と、
近くにある「仙台藩処刑場(七北田刑場)」へ。

こうして、気づいてすぐにお参りしてくれた両親に、
私はとても感謝しています。

亡き祖父も喜んでいることと思いますし、
この地で苦しんでいた御霊さんたちも喜ばれたと思います。

このような両親の行動は、以前は想像できなかったことです。

実家の土地を思い出した、と私が話したら、
きっと「何言ってるの?」と返されるだけだったでしょう。
ひび割れたお塩盛りの写真も両親に共有しました。

こういう奉仕を家族で行えるようになったことに、大きな変化を感じます
先生方にお話したところ、
「家系を清めていくと、いつの間にかみんなの行動も清まっていく」
と教えてくださいました。
両親にかかっていたカルマの重荷も軽くなってきたのでしょう。

 

私が、結婚するときに行った夫の家系の三六九の儀でいただいた御神示があります。

私は、

「相方ともに心せよ」

という言葉がとても響きました。

夫の家系だけでなく、私が生まれ育った家系も、
カミを求めることなく、知力を柱として生きてきたということ。

三六九の儀から5年経った今、
私の家族は、ご先祖様や見えないものに目を向けて手を合わせる、大切にする、
という方向に向いてきていることを感じます。

日々の生きる姿勢が変わってきているということです。

これが、三六九の儀、カルマを解くという生き方を通しての、
私の家族の変化です。

ゆっくりですが、確実に変わっています。

ついつい人は、すぐに変化や結果を求めてしまうものですが、
先祖代々引き継がれた生き方は、一朝一夕では変わるものではありません。

ずっとそのようにして生きてきたから。
それが当たり前で、いいと思っていたから。
そしてみんな一生懸命に生きてきたのです。

いま、神様の存在、カルマに気づいた私たちから変わり、
お祈りしていくことによって、この生き方が、
両親や親戚、ご先祖様、縁のある人に伝わっていくことを願っています。

そして、私自身がその見本となれるように、日々精進して参ります。

 

コロナウィルスから教えてもらったこと〜戦いから和解、調和へ〜

2022年02月10日

スタッフやすこです。

2022年になって、
私にとって最も衝撃だった出来事は、年明け早々「コロナウィルスに感染したこと」でした。
旦那さんも感染したので、夫婦で自宅療養しました。

今回は、この体験をシェアします。
コロナウィルスから教えてもらったことを伝えたいと思いました。

.

始まりは、朝起きたら喉が痛かったこと、でした。
私は、風邪はだいたい喉の痛みから発生するので、はじめは風邪かな?と思っていたのです。
しかし徐々に寒気や倦怠感が出てきて、
熱はありませんでしたが、怠くて横になって過ごしていました。

翌朝になっても体調が改善せず、
「なんかおかしい」と思い、近所のクリニックの発熱外来に予約をしました。
朝電話したのですが、夕方の予約になったことから、
コロナウィルスが感染拡大していることを実感しました。

徐々に嘔気・嘔吐が出てきて、何も食べていないので胃液まで吐き続けました。
これはとてもしんどかったです。
起き上がると嘔吐してしまうので、果たして病院に行けるだろうか?
と不安になりましたが、なんとか病院へ。
そこで診察・検査してコロナウィルス陽性が確定しました。

「病院から保健所に陽性の連絡をします、
保健所からの連絡を待って諸々対応してください」との指示でした。
対症療法として解熱剤、咳止め、吐き気止めをもらい、10日間の自宅療養となったのです。

発熱外来で検査した人が、次々に「陰性です」と言われて帰っていく中、
自分が陽性であったことにとても驚きました。
私自身は、まさかコロナに感染すると思っていなかったのです。

すぐに旦那さんに連絡。
同居者は必然的に濃厚接触者になるからです。

大上院先生・道子先生にも連絡しました。
仕事のことや、そして発症2日前に一緒に対面講座で学んだ仲間もいたので、
すぐに対応をしてくださって感謝でした。
幸いみんな検査結果は陰性でありホッとしましたが、
旦那さんの会社への影響も含め、感染という影響の大きさを実感しました。

さて、保健所からはなかなか連絡が来ないので、自分で窓口に連絡をしました。
すると、感染拡大で手が回らず、逼迫して非常に混乱しているようでした。

陽性者は、すべて保健所の指示待ちで動く流れになっていたので、
少々もどかしくも感じましたが、連絡にはきちんと対応してくださり、
支援物資も送ってくださるなど、とてもありがたかったです。

私の発症2日後に、旦那さんも陽性となりましたが、
皆さんのサポートをいただきながら、10日間の自宅療養生活を送ることができました。

感染経路は特定できませんが、
「友人夫妻と食事をした時に、マスクを外していた時間が長かった」
というのが私が考える経路です。
飛沫の飛散を防ぐことの大切さを改めて実感し、反省しました。

また、私自身の身体が弱っていたことも大いにあったと思います。
いろんなことがあって、免疫が落ちていたと思うのです。
何よりも、自分の身体と心を整えておくことは大切ですね!

今は、いつどこで感染してもおかしくない状況だと思います。
自分の身体と心の状態を整えておくこと、感染対策をしっかりすること、

そして、いざという時には

・早め早めに行動すること
・準備や備えをしておくこと

が大切だと実感しています。

まず「早め早めの行動」。

私は、この地域に引っ越してきて間もなく、かかりつけ医もなかったので、
喉の痛みを感じた時点で、保健所の窓口と病院を検索して、
コロナウィルス対応してくれる病院、休診日、行き方などを調べました。

これが、翌日以降とても役立ちました。
体調が悪い状態では、病院を探すことも困難だからです。
もっと早めに保健所や病院を探しておけばよかったとも思いました。
いざという時にどう動くかは、シミュレーションしておくことをオススメします。

そして、「なんかおかしい」という感覚を大切に、すぐ動くこと。
ほんの少しの体調変化を見逃さないことが大切です。

私も始まりは咽頭痛レベルでしたし、
旦那さんは発熱(37.6℃)と咳がありましたが、
普段だったら病院には行かないレベルだと言っていました。
また、ワクチンを打った方はかかっても症状が出にくいそうです。(保健所より)
だから、ちょっと体調悪いな、くらいで、
コロナではないだろうと思って普通に生活している方も多いと推測します。
自分のためにも、周りのためにも早めの行動をオススメします!

そして「準備や備え」。

先に書いた、保健所や近隣の病院を調べておく、というのも準備の1つです。

それから、アルコール、次亜塩素酸ナトリウムの消毒剤、除菌シート、マスクなどは
多めに準備しておくといいです。
同居者やご家族がいる場合には、共有部分(トイレやドアの取手など)を
消毒する必要がありますし、家の中で隔離の必要があるからです。
使い捨て手袋も役立ちました。
私は料理の仕事もしている関係で、使い捨て手袋をたくさん持っており、
それをして動いていました。
同居者がいる場合には、お互いの感染のために隔離方法を考えておくといいですよ。

それから食糧です。
ありがたいことに、保健所も支援物資を送ってくれましたが、
体調が悪い時には食べられるものも限られてきますし、
10日間と長い期間になりますので、ある程度の量が必要です。

食べやすいものを準備しておくといいです。
(ゼリー、スポーツドリンク、お粥、うどん、果物など)
私は、りんごやみかんなどの果物にも随分と助けられました。
災害に備えるという意味でも、準備をオススメします。
療養中のお買い物には、ネットスーパーも便利でした。
私は今回、初めて利用しました。

 

皆さんのサポートをいただきながら、
療養期間を命の不安なく過ごし、後遺症もなく回復できたことに感謝しています。
私の個人的な見解ですが、ワクチンを接種していてよかったと実感しています。
症状がそれほど酷くならなかったからです。

また、何よりも、神様の守護のおかげで安心して療養することができました
神様は、カルマの許される範囲で私たちをお守りくださいます

家系や個人が背負っているカルマは早めに解いた方がよいですよ。
私はちょうどコロナウィルスの感染拡大が始まった2年前に、
家族全員の三六九の儀を行っていただいたので、
自分自身はもちろんのこと、遠く離れて住んでいる家族のことも、
安心して見守ることができます。

自分自身に不安などが湧いてきても、想像以上に落ち着いて過ごすことができたのは、
「魂の学び(魂の覚醒メソッド講座)」を続けてきたからだと実感しています。
不安や恐れは、自分が作り出した幻想であることを学んでいたからです。
ですので、不安が湧いてきても、それを自分で受容して手放して、
落ち着いて「ゆっくり身体を治すこと」に専念することができました。

ベッドの中では、可能な限り、お祈り、ウタヒを唱えていました。
特にウタヒは、あらゆるところに調和をもたらすものなので、
ウィルスと戦っている自分の身体、旦那さんの身体、
そして日本のコロナ感染が落ち着きますようにと唱え続けていました。

先生方や一緒に学ぶ仲間も、
お塩盛りをしてくれたり、ウタヒを送り続けてくれたり、
新鮮な食材を送ってくれたりと、
たくさんの応援を送ってくださったことに、心から感謝しています。

そうそう、私も家にあったお塩でコロナウィルスのお塩盛りをしました。
すると…盛ってすぐにヒビ割れました。
コロナウィルス感染の影響の大きさと、
お塩盛りに守ってもらったことを感じました。

 

そして私は、コロナウィルス君から大きな学びをいただくことになりました。

実は、療養しながら腑に落ちないことがありました。

先生方は、いつも「コロナウィルスも愛せよ、共存せよ」と仰います。
私もそうしたいと思っていましたが、実際にかかってみると、
明らかに私の体はコロナウィルスと戦っていました。

嫌というほど嘔吐しました。
吐くのは、身体の中に入ってきた異物を出そうとする反応ですよね。

咳も、身体が筋肉痛になるほど出ました。
これも、異物を外に出そうとする反応ですよね。

旦那さんは、リンパ腺が腫れました。
これは白血球がウィルスと戦っているわけです。

この戦っている状態と、先生が仰る「共存」とが結びつかなくて、疑問だったのです。
それを、先日「心の扉を開く」お話会の時に質問してみました。

すると先生から、

「まず、細胞レベルで戦ったよね。
自分ではないものを排除しようとして、
吐いて、ウィルスを出そうとしてたよね。
今はどう?」

と聞かれました。

「今はなんでもないです」と答えました。

「それは、和解が終わったんだよ。
白血球の中には抗体ができて、免疫を獲得して、友達の契りを結んだのだよ」と。

私の身体は、はじめは異物を排除しようとしていたけれど、
和解して友達になったというのです。

根本的には、

身体は、ウィルスから情報を獲得して今の細胞ができており、
そもそも私たちの細胞自体がウィルスの恩恵を受けていること、

すでに個体の中にウィルスとの共存共栄がなされていて、
免疫を獲得するまでには攻防があるけれど、
自分の中に調和して、自分の一部として生き続けること、

感染したことによって身体は進化したこと、

ということを教えていただきました。

なるほど「和解して共存していくのか」と。

そして、これはウィルスではないことにも言えるよね、とのお話。

「みんな戦ってるんだよ、自分事になってないということ。
自分事になったら、お互い調和していく。
ウィルスは細胞レベルでそういうことを教えてくれている」と。

みんな、戦ってなんとかしよう、という発想で終わってしまう。
でも、相手の気持ちやお互いの気持ちを分かち合うことができたならば、
自分の中に相手の思いをきちんと入れることができたならば、
本当の調和が生み出されるはずだよ、と。

 

なるほど〜。
コロナウィルス君は深いことを教えてくれます。

戦い…
振り返ってみると、私はいろんなところで戦っていましたね(笑)
もっとも、前世武士ですので、戦うことが当たり前だったのでしょう。

例えば、まだどこかに「嫌いな私」「受け入れ難い私」がいたり。
これは、自分で自分と戦っていますね。
そして、自分と違う考えを持つ人を「嫌い」とか「変だ!」と感じることがあったり。

または、目の前に起きた出来事と戦うこともありますね。
失敗をすんなり受け入れられなかったり、
病気になった自分を受け入れられなくて目を背けたり。

それも、良い悪いとジャッジせずに、
何か意味があることだ、と受け入れていくと、
すんなりその出来事と向き合っていけます。
それが和解、ということですね。

先生の表現で言うと、「自分事とする」と言うこと。

自分を全受容すること。
自分をありのまま戦わずに受容すること。
それをしない限り、目の前の誰かを受容することなんて到底できない、と思いました。

「みんな違ってみんないい」って、
相手の個性を認めたり、受容しようとするけれど、その前にやることがあるわけです。
何より、自分自身と和解して受容すること。

こういうところから戦争って起きるんだな…

こうやって考えるとものすごく身近。
自分から和解して調和が生まれれば、戦争は止めることができるわけです。

これが私のコロナウィルスからの大きな学び。
コロナウィルス深い!
というより、自然がすべて先生なのだな、と思いました。
何も難しいことはない、自然現象がすべて教えてくれているのですね。
コロナウィルスから、とても大きなことを教えてもらいました。

 

そしてまた、私にとって療養期間は「自分と、そして旦那さんと向き合う時間」でもありました。

昨年結婚して生活のペースが変わり、
楽しい一方で、無意識に相手に合わせて我慢してしまい、
私自身が疲れてしまったのです。

そこから徐々に自分のペースを取り戻し、
「さて! 2022年どんどん活動するぞ〜!」
と思っていたところに、ストップがかかりました。

だからはじめは、せっかく動こうと思ってたのに、どうして感染したの?
ともどかしい気持ちがありました。
完全に行動を止められたような気がしました。
しかも、旦那さんと一緒に、です。
10日間、しかも24時間一歩も外に出ずに一緒に過ごすってなかなか無いことです。
年末年始の休みより長いわけです。

これは、じっくり「自分の内面と向き合う」ことが必要なのだと思いました。
私は、どちらかというと意識が外に向くタイプなので、
自分自身の内面を見つめることが得意ではありません。
だから、今年いろいろ動き出す前に、
ちゃんと自分自身と向き合うこと!と言われたのだと思いました。

それから、「旦那さんと向き合う」ということ。
休みが合わずすれ違いも多いので、ゆっくり話す時間があまり取れていなかったのです。
だから、療養期間中、体調が戻ってきてからは、2人でゆっくり話しました。
普段話さないような、子供の頃の話やら、ゆっくり向き合う時間となりました。

また、旦那さんは療養しながら自宅でテレワークをしていたので、
仕事場面も垣間見ることができ、いろんな面を知れたのもよかったです。
一緒にいる時間が長いからこそ、意見がぶつかることもありましたが、
その分、お互いの違いに気づけて2人の距離が近づきました。

勝先生からは、

「旦那さんとも和解の時間だったね、
違うものがあるから調和が生まれる、
同じものだけだったら調和はないよ」

と言っていただき、まさに
旦那さんとも意見が違うからと、戦っていた部分もあったと気づかされました。

.

私の生き方そのものが大きく変化する出来事でした。
このことを糧にして、2022年過ごしていきます。

そして、元気になって感じたこと。

生きてるって素晴らしい!
動けるって素晴らしい!

身体を労わりながら、この世の中に私自身を生かしていきます。

現在療養中の方もいらっしゃると思います。

早く回復されて、日常生活に戻れますようにお祈りします。
また、世界の感染が早く落ち着きますようにお祈りします。

ひとりひとりの中に愛と平和がありますように。
世界の争いが終わり、和解して平和が訪れますように。

▶︎カタカムナ・ウタヒ講座
▶︎魂の覚醒メソッド無料体験講座

どちらの講座も、開催日程が決まりましたらご案内いたします。

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