『御神言』と『三六九の儀』大上院勝とマドレーヌ道子の ~カルマ解消~ & Misogi Academy

食べ物の祈り | 大上院勝の「三六九の儀」& Misogi Academy

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食べ物の祈り

日々の食事は、わたしたちの人格を形成する上で、非常に重要な要因になっています。食事によって取り込まれた要素により、わたしたちの思考や想いが形成され、それによって行為が決定づけられます。
そのため、日々の食事は、できるだけ神聖で清らかなものを口にすべきであるといわれています。食事の前の祈り「フード・プレヤー」は、食事を霊的な面から清め、神聖な食事へと変化させます。

フード・プレヤー
──食事の前の祈り(『神の詩』(中央アート出版社)より)

食事の前に神に祈り、すべての食べものを神に捧げることによって、料理を清め、けがれのないものにすることが大切です。食事の前の祈りは、神のためのものではなく、自分のためのものです。神からの祝福をいただいて、食べものを清めるのです。
食事の前の祈りは、「バガヴァッド・ギーター」の第4章24節と、第15章14節を唱えます。

ブランマールパナム ブランマ ハヴィール
ブランマーグノォ ブランマナーフタム
ブランマイヴァ テーナ ガンタヴィヤムー
ブランマ カルマ サマーディナー
(Brahmaarpanam, Brahma Havir, Brahmaagnau Brahmanaa Hutam
Brahmaiva Tena Gantavyam, Brahma Karma Samadhinaha)

アハーム ヴァイシュヴァーナーロー ブットゥヴァー
プラーニナム デーハマーシュリタッハー
プラーナ アパーナ サマーユクタッハー
パチャーミャンナム チャトゥールヴィタム
(Aham Vaishvaanaro Bhutvaa, Praaninaam Dehamaashritaha,
Praanaapaana Samaa Yuktaha, Pachaamy Annam Chatur Vidham.)

捧げることは神(ブラフマン)であり、捧げるものも神である。
神は聖なる炎であり、その炎に捧げるものも神である。
神とひとつになる者とは、
すべての行為が神とひとつとなっている者だけ。

わたし(クリシュナ)は火の神ヴァイシュヴァーナーロー
すべてに広がる宇宙の力、
いのちの身体(からだ)に宿る者。
吐いて(プラーナ)吸う(アパーナ)いのちの呼吸とひとつになって、
すべての(4種の)食事を消化する。
〔訳注……ここで主クリシュナは戦士アルジュナに、「わたし」はヴァイシュヴァーナーロー(火の神アグニ)となって、食べものを体内で燃やし、消化すると語る。4種の食べものとは、のみこむもの、かむもの、すするもの、なめるもの。〕

祈りの前はありふれた食べものでしかなかったものが、神に捧げられると、神聖な食べもの(プラサーダム)に変わります。この祈りは、食器や食材に染みついた汚れを取り去り、料理している間に染みついた好ましからぬ影響を、みごとに清めてくれます。

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日時 1984年
場所 プッタパルティ、プラシャンティ・ニラヤム
出典 “Bhagavan Sri Sathya Sai Baba’s Discourses on the Bhagavad Gita”(サイババ『神の詩』(中央アート出版社))

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