『御神言』と『三六九の儀』大上院勝とマドレーヌ道子の ~カルマ解消~ & Misogi Academy

カルマとは | 大上院勝の「三六九の儀」& Misogi Academy

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~真理と正しい人間関係を学び霊的成長の道を目指す~

大上院勝のブログ

カルマとは

カルマとは、一体何でしょうか。

今回は、カルマについてお話し致します。

 

私たちは生まれながらにして「それ」を知っていて、真理であると認めている「教え」があります。

正しい関係は私たちの生活の基盤であり、そのような正しい関係をつくるために、私たちは何度も生まれ変わってきます。

正しい人間関係と人類の問題解決への鍵は、再生誕(転生輪廻)の法則の認知と理解の中にあります。私たちの人生は完成への長い進化の旅路であり、一人一人が人生を歩むにあたって、この法則がいかに大切か、真の働きを、転生している魂の完成への旅路として示します。

私たちは進化の過程において、動物と霊の間の過渡期の相であります。私たち一人ひとりが歩いている進化の旅路は、全宇宙を支配する法の下に行われています。全宇宙を通じてすべてが、相応関係の法の下に同様の進化の法則に沿って進行しています。地球上の人類だけでなく、他の惑星、太陽系から銀河系に至るまで、すべての命ある存在は法の下に進化の法則に沿って生きているのです。

私たちは本質的には魂であり、神のきらめきであり、私たち個人の小さなレベルでは神性を表しています。そしてその神性を顕示するために私たちに提供された過程が再生誕です。再生誕は、神がその代理者「私たち自身」を通して、正反対の極「物質」に下降し、そしてその物質を、完全に御自身の特性を浸透したものとして、再び御自身の下に戻すことを可能にする過程です。再生誕は乗り船である肉体人間が魂の目的を遂行するための機会です。

私たち魂自身の特性が、この世における人間生活の中で「肉体的、情緒的、メンタル的」に完全に実演されるようになるまで、次々とその乗り船である肉体人間をつくり変えては再生誕してくるのです。ある一生は男性であったり、ある一生は女性であったり、何度も何度も繰り返されていくにつれ、魂は次々と肉体人間を通して「己を愛として表現」できるようになります。

その人はより正しく、より完全に魂の計画と目的を顕現するようになります。人生における目的と意味について、私たちが知っていることはすべて魂のレベルから来るのです。魂の特性は愛し、奉仕することであり、己を神の大計画のために犠牲にすることです。愛と犠牲を通して奉仕すること以外に、魂は目的を持ちません。実際、魂の自己犠牲を行う意志が肉体として転生させるのです。過去生の縁から魂は集団で転生してきます。

再生誕とカルマについて

再生誕の過程の中で、二つのことが同時に起こっています。一つは魂がその器を徐々に霊化することです。正しい見方をすると、進化の道を歩む人生とは、私たちの低位の側面(エゴ)を高位の側面(魂)のために徐々に放棄していく過程です。転生した魂として、高位の神性が低位レベルの神性である肉体人間に生まれてきたのです。進化の目標である完成への旅路は低位レベルのものを徐々に放棄して、その低位レべルにおいて(つまり肉体人間において)高位の特質を体現することによって、ますます魂としての本来の存在となっていきます。魂は数えきれない転生の旅を繰り返し、生まれ変わってくる必要が全くなくなるまでこれを続けます。魂にとって帰途の旅路とは物質界、情緒界、メンタル界の制限から己自身を解放していくことです。それは、魂がその器である肉体、情緒体、メンタル体を、魂のエネルギーと特質で満たしていくことによってなされます。

もう一つは大昔のカルマを片付けるために、魂が意図的にその器である肉体人間に重荷を課すことです。魂が転生の体験を重ねながら進んでいくにつれて、その反映である肉体人間はよりいっそう重いカルマを背負わされます。その体験のなかですべてが、つまりすべての低位の側面が高位の霊的実在のために放棄されます。人は高度に進化していればいるほど、より大きく奉仕することができ、世界により大きく役立つことができます。

私たちの一つ一つの行動が原因を始動させます。これらの原因は結果を招きます。その結果が良いにしろ悪いにしろ私たちの人生を形づくります。私たちは一瞬一瞬、自分の人生をつくっています。今も、過去も、将来もです。私たちの思考と行動によって始動する原因が、遅かれ早かれ結果を生み、それが私たちに返ります。それを私たちは「良い」 カルマとか「悪い」カルマとして経験します。心地よくないときには、それを悪いカルマだと言います。それが良いカルマであり、人生が快適であるときには気付かないのです。なぜなら人生をそのように期待するからです。人は悪いカルマのときだけ、カルマについて語ります。私たちは「悪い」カルマよりも、「良い」カルマの方をたくさん持っているということを覚えておくことが大切です。

さらに、魂はすベての転生に特定の目的を持っています。その転生において魂の意図を達成するための可能性を提供するような魂の器、つまり肉体、情緒体、メンタル体を持った肉体人間をつくります。その目的は達成されないかもしれないけれども、魂はその可能性を提供します。魂はいつも希望のなかに生きているのです。

究極の目標は個人的なカルマをつくらないように人生を送ることです。完璧になるかまたは死ぬかのどちらかによって、これをすることができます。完璧になる方が死ぬよりも面白いですから、ほとんどの人は魂の目的を達成することを試みるという前提を受け入れます。そしてそれを成すために、人生最後のぎりぎりの瞬間までこの世に留まろうとします。このようにして、私たち自身が過去世で、そして今世でこしらえた重荷(カルマ)に取り組みます。意識的にしろ無意識的にしろ、完璧になろうと努力します。

私たちは、人生の成り行きに対して実際に何もコン卜ロールすることはできません。私たちがコントロールすることができるのは、成り行きに対する私たちの「反応の仕方」です。ですから目指すべきことは、人生の成り行きから達観することを学び、私たち自身を統御することです。このようにして一生の間にカルマの重荷に対処します。これは、座ったまま何もしない、カルマもつくらないということではありません。私たちができることは、あらゆる状況であらゆる場合に、その成り行きから私たち自身を引き離すことです。成り行きは向こうにあり、私たちはこちら側にいると考え、感情的に反応しないことです。このようにして、徐々に人生との関連において非個人的になり、成り行きに対して超然とし、カルマが「良い」とか「悪い」とかに無関心になることです。

それではどのようにしてカルマを取り除くのか、どうやってこれに対処するのでしょうか。

カルマは他人にあげることはできませんよね。重すぎるし、誰も欲しがりません。余ったカルマの売り出しはありません。すでに皆が十分過ぎるほど自分のカルマを持っています。それではどうしたらよいでしょうか。私たちの活動を、喜びや幸せを制限するこの重荷にどう対処すればよいのでしょうか。

それには非常に簡単な方法があります。「奉仕」と呼ばれます。奉仕はカルマを取り除くために、特に優れた方法です。いや取り除くのではなく燃焼してしまうのです。それは次のような過程で行われます。

つまり、あなたは奉仕するにつれて、あなた自身にエネルギーを引きつけていきます。エネルギーを与えることによって、エネルギーを得るのです。それが法です。基本的に、それが愛の法則であり、私たちの特性を支配しており、それなしに世界は存在しません。それはまた別の意味では、原因と結果の法則そのものです。あなたが愛を与えるにつれて、原因を始動させ、その結果として愛が返ってくるのです。

ですから、法そのものがそれ自体の成就を始動させます。奉仕するにつれて、私たちは愛を具現します。愛を具現するにつれ、私たちは法によって愛を得ます。それがその個人を強くし、力を強めます。己のカルマに対処することができるのです。人が愛と奉仕の道をさらに先ヘと進むにつれて、自動的に人生の成り行きの影響から自分自身を引き離すようになります。様々な出来事は起こります。しかし、それが心理に及ぼす影響はますます少なくなります。東洋では「あ~、それはカルマだ」という表現をします。フランスでは「あ~、それが人生さ」と言います。「それが人生さ」と気軽に言えるような態度を徐々に培っていかねばなりません。もし良いことがあれば、「それが人生さ」ということは容易です。もしそれが大変なことであり、苦痛があり、私たちを不幸せにするようなときにも「それが人生さ」なのです。そのような無執着な態度で生きなければなりません。

このようにして過去からのカルマの重荷を燃焼させることによって、より大きな進歩が遂げられることを魂は知っています。私たちを拘束するもの、引き止めるものは、私たちのカルマなのです。私たちが背中に背負っているカルマという重荷です。カルマに対処するために行う努力が、成長のときのために道を整えるのです。このようにして、私たちの発展は周期的に進行します。

人はカルマをいつも過去世からのものと考えます。

しかし昨日の、一昨日の、先週の、先月のカルマはどうでしようか。

今日、明日、そして来世と、一瞬一瞬私たちが対処していく行動と反応の継続なのです。私たちがお互い同士との、そして私たちがその部分であるところのあの総体との正しい関係に入るまで、私たちは悪いカルマをつくり続けていくでしよう。カルマの法則と再生誕の法則に正しく対処し、正しい関係がもたらす恩恵を認識することが重要であり、それは有益であります。

再生誕の法則と因果の法則(カルマの法則)との関係を正しく理解することによって、私たちはすべての活動において無害であることの必要性を知るようになります。

カルマを成就して霊的成長する人生は、魂の救済と平和を創り出すのです。

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