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生家の先祖のカルマを清めた美由紀の体験 ~今は亡き祖父との約束~ 前編


こんにちは、美由紀です。

嫁ぎ先の土地や家系のカルマのお話に引き続きまして、今回は私の生家のご先祖様のカルマを解き清めたお話をさせて頂きます。

私は長女として生まれました。

私の両親は東京で働き、知りあい、結婚生活を送っていましたが、長男であった父は家を継承する為に、故郷である千葉県館山市の実家に戻りました。

丁度その頃妊娠していた母でしたが、安定期に入る前に流産をしています。

私が生まれる前にお腹に入っていた子は兄なのか姉なのかわかりませんが、生まれていたら私は長女ではなかったのだと思うと、とても感慨深いです。

結婚4年目にして生まれた待望の赤ちゃん。


それが私でした。

祖父母と同居していた幼少の時の記憶ですが、祖母との思い出が全くありません。
祖母が病気を患い浴衣姿で布団に座り私を見ていた・・・その祖母の表情。

それしか思い出せないのです。

それとは逆に、祖父との思い出は今も鮮明に甦ってきます。

いつも元気で明るい働き者の祖父でした。頑固なところもありましたが、とても賢い人で私にとっては憧れの人でもありました。

おてんばで好奇心旺盛な私に手をこまねいていた両親に変わり、全身全霊で私を愛してくれた祖父。

あの頃の私を全承認してくれた祖父の存在はかけがいの無いものでした。


その祖父がいつも私に語りかけていた言葉があります。

「この家は父親でも誰でもない、お前にしか守れない、頼んだぞ」

と。

その言葉の意味がずっと分かりませんでした。

カルマを解いた今、やっとその意味が分かり、祖父への感謝の気持ちも今までより増しています。

さて、私が生まれた3年後。


生まれたのはまた女の子。
未熟児の小さな小さな可愛い私の妹でした。


甘えん坊で指をしゃぶり、私の後についていつも遊んでいるような大人しい子でした。

男の子の出生を望んでいた両親であり祖父母でしたが叶わず、二人姉妹の長女である私が長男であるかの様に育てられていきました。

幼少の頃から、両親から唱え言葉の様に耳元で囁かれ続けられた言葉があります。

「お前は長女だから家を継いで、私達親の面倒を見なければならない」



その唱え言葉は私が結婚を機に家を離れるまで続きました。

唱え言葉は私にとっては「呪いの言葉」にも聞こえてきて、嫌で嫌でたまりませんでした。

何故なら、ありのままの私を受け入れてくれない両親のことを私自身が受け入れられなかったからです。

そして、子供が親の面倒を見るのが当たり前であるといったその当たり前に大いなる疑問があり、

親の言う通りに子供が生きなければならなかったり、選択の余地がないことに憤りにも似た感情を抱いていたからでした。

なので、高校に進学するまでは親に反発し、喧嘩も絶えませんでした。

今振り返れば、親からの愛を渇望していた故の私の心の叫びでした。


「どんな私でも承認して欲しい」

自分を自分で愛することを知らなかった私は親からの愛を求めていたのでした。

高校生になり将来の仕事も見つかり、私は県外への進学を決めました。

親は勿論大反対でした。地元で就職、婿取りをして結婚。それが親の未来予想図であったわけですが、私はことごとく親の希望を叶えず自分の選択した人生を歩いていくことになります。

そんな中、たった一人の妹は高校卒業後、都内の大手化粧品会社に就職するも研修中一ヶ月足らずで故郷に戻ってしまいます。

私とは正反対の生き方を選択していました。

その頃、出会った地元の男性と恋愛関係になった妹。

先方は3人兄弟の長男でした。

妹には嫁ぐ意思は微塵もなく、最終的には長男が婿として家に入ってくれることになりました。

迎え入れる実家は大喜びでしたが、反対に婿のご両親は大変な悲しみを抱かれ、両手を広げて喜ぶには程遠いことでした。

婿に入る条件として養子縁組をして欲しいと先方から希望がありました。

長女の私が家を出た今、親にとっては天からの授かり物にも似た妹の婿養子でした。

妹達の結婚式では、私の両親の嬉しそうな表情ととても寂しそうな婿の両親の表情が対照的だったことを記憶しています。

私も妹の結婚は心から嬉しく、お婿さんとして入ってくれた彼にも感謝しました。そして、永遠に妹夫婦を大切にしようと決めたのでした。


夢と希望に満ちた新しい家族の生活。

それが、私や両親が描いていた理想とは全くかけ離れていったものになるとは、この時、誰も予想すらしませんでした。

完全同居だった婿養子は次第に両親と口を聞かなくなっていきました。

不自然で緊張感のある空気感にいつも包まれ、親も次第に婿養子に話しかけることも減っていきました。

両親は離れでほとんどの時間を過ごし、終いには勤務先をまるで家の様に使いそこで生活し、実家には寝に帰るだけになりました。

お互いがお互いを避けている、そんな感じでした。

私に対しても妹夫婦の態度は同じ様に変化していきました。

たまの帰省も妹夫婦にしてみたら煩わしかったのでしょう。

妹たちが選択した結婚や人生でしたが、いつの間にか ”家を出た私の代わりに跡取りとなり親と住んでやっている” と言われる様になっていったのです。

姪達に対する妹夫婦の言葉や態度も、私には辛いものでした。

女の子を育てている様には思えないような威圧的な言葉や態度は、私の胸を締め付けました。

いつしか家族揃っての食事の時間さえ、誰も言葉を発しなくなりました。



まるでお通夜のようなそんな時間に思えてなりませんでした。

針の筵に座っている様なそんな感覚です。

姪達の表情も暗く、親の顔色を伺うように過ごしていました。両親も同じです。

私も次第に妹夫婦に対して嫌悪な気持ちを抱く様になりました。

私が二人目の子供である息子の産後、体調を大きく崩した時に実家に里帰りした時のことです。

夜、母が一人で泣いていました。理由を聞くと話をするのを躊躇うかのように首を横に振ります。その母を見て全てを察知しました。

「ごめんね、ごめんね。。。」と謝る母。

妹夫婦が私達家族の滞在を拒んでいることが理由でした。

「まだ3日しかいない、体もしんどい」そんな状況でしたので私は何故そんなことを言うのか信じられませんでしたし、とても悲しくなりました。

けれど、母を苦しめたくなくて、
次の日、荷物をまとめて帰りました。

情けなかったです。


そして私の中に「許せない」怒りの感情が芽生えました。

それからその「許せない」は、私にとって苦しい苦しい執着になっていくのでした。

先生方に出会う前での何十年という長い時間、私は妹夫婦と確執がありました。

「ご実家は宇宙の法則に反することをしてしまったんですよ」


先生方に言われた時は何がなんだか分からず混乱しました。

初めてそこで、私達家族は婿養子の家系のカルマも引き受けてしまったことを知ることになりました。

女児しか生まれない家系や、子が生まれない家系は自然と閉じてゆく家系であると教えていただきました。

しかし、「家を閉じてもいい」という選択は、父の世代、祖父の世代ではなかった。そして呪いのように私も妹も「誰かが家を継がなけれならない」と思い込んでいたからです。

カルマの法則を知らずに、私達家族はさらにカルマを重ねることになったのです。



次回は、憎しみから許し、愛に変化した私が、婿養子の家系のご先祖さまのカルマを解こうと決め清めるに至った過程までをお話ししますね。

どうぞお楽しみに。

今回もご拝読ありがとうございました。

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