『御神言』と『三六九の儀』大上院勝とマドレーヌ道子の ~カルマ解消~ & Misogi Academy

「隠すこと」からの卒業 | 大上院勝とマドレーヌ道子の『カルマ解消』& Misogi Academy

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大上院勝のブログ

「隠すこと」からの卒業

こんにちは、瑆です。
今回のテーマは「隠すこと」です。

突然ですが、皆さんは、何か隠していることはありますか?

隠すというと、少しドキッとするかもしれませんが、
これは絶対に人には言えない、
これは言わないでおこう、
本音と建前が違う、
ということは何かしらあるのではないでしょうか?

私は三六九の儀の後、「成長したい!」と決意して先生方の元で学びを続けています。
昨年から今年にかけて大きく変化したこと、その一つが「隠すこと」です。

私は「隠してきたこと」がたくさんありましたし、今でもまだあります。

なぜなら、
こんなことを言ったら
かっこ悪い・恥ずかしい、
変な奴だと思われたくない、
これを言ったら厄介なことが起きそう、
と思うと、

隠そうというよりは、言えなかったのです。

または、
相手に心配をかけないように、
相手に迷惑かけないようにという思いから言わない、
ということは割とよくあることだと思います。

我が家は、特にこの傾向が強くて、私自身も「親に心配をかけないように」ということは当たり前のようにしてきたのです。


例えば、具合が悪い時。
私は家族とは遠く離れて住んでいますが、例えば家族が少し大きな怪我をした時、私には知らされなかったことがありました。その理由は[私に心配をかけないため]でした。
私はそれを治った後で知って、「どうして早く言ってくれなかったの?私も何か力になれたかもしれないのに」という思いが湧きました。

逆に、私自身が困ったことが起きた時に、親に相談しようかな。。と迷ったものの、「心配をかけてはいけない!」という思いから言わずにひとりで乗り越えた経験もあります。
他人には何でも話して相談して欲しい、と思うのに、私は頼れなかったのです。

日本人はそういう傾向が強いと思いますが、我が家の場合は、家系的にも先祖代々このような考え方が流れているようです。迷惑・心配かけないように言うことを飲み込む。そしてまた、余計なことはなるべく口にしない、そんな流れがあります。


「迷惑や心配をかけたくない」とは、一体なんでしょうか?
相手のことを考えて、自分の本音を伝えないというのはどうでしょうか?


いつも先生方が仰います。

一瞬一瞬、全身全霊で生きましょう】
それが命を大切にすることであると。

私たちは、明日生きている保証はありません。
その時々の自分の思いをきちんと感じること。
そして、必要があれば相手に伝えていくことが誠意。
それぞれ考え方も気持ちも違うことが当たり前。それを前提にいれば、自分のことも、相手のことも大切にすることができます。
このことを教わって、私は正直に誠実に生きていくように心がけるようになりました。

昨年、新型コロナウィルスの流行により、実家に帰省するかどうか迷いました。

私「帰りたい」
父「帰省は自粛してもらいたい」

父とそんなやりとりがありました。

私は仙台出身で、現在東京在住。
仙台にいる両親にとっては、東京の人は全員コロナ感染者に見える、という感覚があるようです。
そして、自分の年齢や身体の状態から考えると、私が帰省することに不安があったのです。


私は父に意見を聞く前から、何となくそれを感じとっていました。
これまでの私だったら「帰りたい」と言わなかったでしょう。
両親は帰省して欲しくないと思っているだろう、私が帰ることで迷惑をかけてしまうかもしれない、帰省は自粛しよう、としたはずです。

もちろん私自身が感染している可能性もありますし、両親の健康を配慮し、家族間に波風を立てたくない、と思ったらそうなります。
でも、これまでもずっといつも私は自分の気持ちを抑え飲み込んでしまう癖がありました。

でも今年は、「私は少しでも帰りたい」という自分の本音を受け取って、我慢せずに話してみたのです。ある意味私にとってはわがままです。

どうなるかなと思いましたが、家族もそれぞれに自分の状況や思いを話してくれたことで家族の距離が近づきました。
そして、私が「帰りたい」という気持ちを正直に伝えてみたことで、結果として、実家には行かなくても外出先で短時間直接会って話すことができました。

それぞれ考え方も気持ちも違っていい、正直に出して話したことで、後悔もなくスッキリしました。物理的な距離は遠かったけれど、心の距離が近づいた昨年でした。

また、先日、友人が行っている片付け講座を受講しました。

節分までに、一度お部屋を片づけたかったのです。


スッキリ綺麗にしよう!でも自分でうまくいかないからアドバイスもらおう!くらいにしか思っていなかったのですが、やってみたら奥深いものが見えてきました。

収納ひとつとっても、自分の考え方や癖が現れてくるものです。

今のお部屋はクローゼットが大きくて、洋服の他に、書類、書籍、日用品、そして備蓄、捨てられないもの等、いろいろ入っていました。
片づけながら気づいたことは、私にとっての収納とは、「見せたくないものを隠す」という意味もあったということです。

見せたくないものを入れる、そしてドアを閉めてしまえば見えないので、外側からの見た目はスッキリしていますが、いざ開けてみると、段ボールの中に捨てそびれた携帯電話がいくつも入っていたり、廃棄していなかったパソコンが出てきたり、古い書類が出てきたりしたのです。しかも、自分では忘れていたようなものまで(笑)

私にとっての「収納=隠すこと」だと気づいた時、これは今での自分の生き方そのものだな、と驚きました。

本音を出さずに建前で生きる、モヤモヤを抱えていても表面上は出さずにこやかにやり過ごす。
波風立てないように、迷惑かけないように、心配かけないように、抑えてなだめて生きてきた生き方。それが収納に現れていたということです。

本当にびっくりです!!!

そして今回、片づけ講座を通して、見せないようにしてきた部分を家族以外の他人にオープンにしたことは、どんな私でもいいという自分自身への承認と、心(本音)の開放になったのです。


気持ちがとても楽になり、オープンでいいのだ!オープンで行こう!と、身も心も本当に軽くなりました。

新しい時代に生まれてきている子供たちは、進化していてエネルギーにも敏感な子が多いです。そういう子達には、本音と建前は通用しません。エネルギーですべて感じ取ってしまうのですね。

だから、私たち大人も、隠すこと、本音と建前を卒業して、ありのまますべてを承認してオープンに生きていきましょう。


今は、クローゼットが綺麗になって、お洋服や物たちがイキイキしているのがわかります。仕舞われていた物たちが、1つ1つ輝きを取り戻しています。

収納の中も外も表裏一体。

表面を繕っても、もし中がぐちゃぐちゃであれば、何か違和感を感じるものです。綺麗に化粧をしても、身体の中が汚かったならば、本当の美しさとは違います。

それこそが、自分自身を大切にすることであり、
相手のことも大切にすることであり、
全身全霊で、本気で生きることに繋がります。

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  • 2021年01月28日
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