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先祖のカルマの因縁を清める - 逆縁に嫁いだ私の体験 - ・・・ | 大上院勝の「三六九の儀」& Misogi Academy

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先祖のカルマの因縁を清める – 逆縁に嫁いだ私の体験 – part.Ⅰ

はじめまして、美由紀です。
最初に、このblogを書くにあたり、子供たちと夫が内容を全部読み受け止めてくれている『今』があり、私達家族が成長しているという『今』があるとう事実が私の支えとなっています。

約7年前、先生方との出会いにより、
先祖のカルマの因縁を解き清めていくことを教え 導かれ 応援していただき、今があります。

先生方に出会う前までお盆、お彼岸にはお墓参り、時々仏壇に手を合わせる程度のことしかしておらず、ご先祖様に意識を向けて日々過ごすことはしてこなかった私でした。

今回は、私が嫁いだ家系のご先祖様のカルマを解き清めめる経験をお話ししたいと思います。


夫との初めての出会いは学生の時、テニスサークルの体験に行った時でした。

夫を見た時、不思議と懐かしい感覚や感情を味わい、『この人といずれ結婚することになる』と理由もなく思った事を憶えています。

私は長女で夫は長男であり、互いに家系を継承するように家族に言われ育ちました。

お付き合いを始めたものの、結婚は出来ないと諦め何度か別れて会わない時期もありましたが、最後は夫の『互いに別の人と結婚しても愛人として時々会おう』の言葉にそこまで私を求め、私も夫を求めるならばと結婚を決め、大反対していた両親にもなんとか承諾を得たのでした。

夫は、お付き合い中は一度も私を家に連れていき、義両親に会わせることはしてくれませんでした。結婚が決まりようやく家を訪れることになり、義両親に会うことになりました。

今思えば、結婚を決めた頃から私の体調に変化が起こり始めていたと思います。
肩こりに無縁だった私が肩こりに悩まされるようになり、背中は板の様に固くなり始め、頭痛や度々風邪、発熱を発症する様になりました。

当時勤務していた都内の保育園を退職し、夫の住む地へ転居し、結婚生活が始まりました。


そこから、私の第二の人生は始まりました。

夢と希望に満ち溢れ、愛する人の元へ嫁いだのですが封建的で保守的な人的環境や、義父母や妹家族、親戚間で起こる様々なトラブルや災いになんだかおかしいと次第に思うようになっていきました。

夫は家にいる時は落ち着かず、義両親と話もしない…。それらの様子を見て、結婚前、夫が私に自分の家のことを語ったり、自宅に招き入れなかった理由が少し分かった気がしました。

自分で選択した結婚、同居でした。

真面目な私は、結婚とはこういうもので 私が全てを我慢すれば良いのだ思い込み、なんとかその時は自分を保っていたと思います。

当初から幸せな家庭、家族を作りたくて子供を持つことを願い、1人目に女の子が生まれました。


その頃から私の原因不明の体調不良が始まりました。

頭痛、胃痛、極度の低体温、めまい、嘔吐、毎日毎日、様々な症状が現れていました。
不安になり、感情も揺さぶられ、とても不安定な毎日を送っていたと思います。

ただ娘は本当に可愛らしく、体調不良を感じながらも子育てや家事にいそしめる時間が私にはかけがえのないものでした。

この幸せを守りたいと、決意にも似た気持ちでいました。

嫁ぎ先では義父母の他に祖母も同居していました。

祖母と義父母の間にはいつも不穏な空気が流れ、時々訪れる親戚の人達との関係性も良好なものとはかけ離れ、互いに悪口、影口が絶えませんでした。

また、義父母の数々の病気、義妹の脳腫瘍、娘の病気と、いつもいつも何かが起きて落ち着かない日々でもありました。

そんな時、あるショッキングな事実を知ります。

義父の弟にあたる夫の叔父が、私達が結婚する1年前に自死していていたことを知ったのです。

それを私に知らさず、その叔父の墓守り、墓参りを私にさせていたのでした。

そして義父が、夫や義妹がまだ幼少の頃に飲酒運転をして交通事故を起こし、人身事故で二人もの命を奪ってしまい交通刑務所に囚人として入っていた事実を知ったのです。

何より、その事実を義父の妹達が茶飲み話の様に私に教えたことに驚きを隠せませんでした。

それから私の中で益々、嫁ぎ先への不信感、夫への不信感は膨らんでいきました。


保育士をしていたので子供が大好きで、自分の子供は四人は欲しいと思っていた私ですが、体調の不安もあり1人だけで良いと思うようになりました。

そんな中、愛娘が『ママ、わたしね、可愛い妹が欲しいの』とキラキラした眼差しで私に話し、願う姿がありました。

不安はあったものの娘の希望を叶えてあげたくて妊娠、そして生まれてきたのは男の子でした。


私の実家は60年間、女児しか生まれない家系でしたので、私が男の子を生んだことに私自身誰よりも驚きました。

男の子が生まれたことで、娘が生まれた時以上に義父母が喜びました。

何故なら嫁いだ家系は男児が生まれ、男児が家を継承する伝統が途切れない家系でした。

その理由は先生方に出会い後々わかっていくこととなります。

息子を生んでからは乳腺炎を繰り返し、体重もどんどん減る一方でフラフラの中、二人の子供たちの面倒を見ていました。

産後うつもあったと思います。
里帰りも出来ず、無我夢中の育児だったと記憶しています。

その当時、幼稚園児だった娘が排便が正常に出来ず、入浴中や寝ている時に便が漏れてしまう病気があり、夜間は夫に娘の世話を頼んでいました。

ある夜、その娘の首を絞めようとする夫を見つけた時のショックは言葉になりませんでした。

泣きながら夫を娘から離し、絶望の淵に立たされた気持ちで一杯でした。

辛くて辛くてどうしたら良いかわからない。

離婚したくとも幼子を連れてフラフラの体でどうすることも出来ない…

八方塞がりの状態でした。

それから私は人形の様に心を閉ざすことになりました。


子供たちの為だけに生きる、母親としてだけ生きると決めて、女として、妻として、夫との肉体関係も一切拒否するようになっていきました。

表面上は上手くつくろい家庭や子育てをきりもりしたり、義父母や夫との関係もなんとかやり過ごしてきてはいましたが、いつも私は心の中で泣いていました。

まるで鳥篭の中に閉じ込められた小鳥の様で、『誰か、誰か、私をここから出して下さい!』と声を出して号泣した事もありました。

相変わらず続く、災いごとや事故、病気…
そして私の体調不良。

『死んでしまいたい』とも何度か思ったこともあります。


その頃近所のヨガ教室に通うようになり、一人の女性と知り合い仲良くなりました。

彼女が通う治療院を紹介してもらい、それから7年間毎週の様に週末治療院に通う様になりました。

しかし、治療に行くも一週間保てるのがやっとで、原因不明の体調不良は治りませんでした。

そして、治療院の先生方と大上院先生、道子先生がお知り合いで、私を先生方の元へ導いて下さり原因を読み解いて頂いたのです。

そこから、私の祈りの日々が始まっていきます。


その原因と原因を知り清め、大きく変化していったプロセスや現在の私達家族については、次回のブログでゆっくりお話ししていきますね。

ご拝読ありがとうございました。

 

>>先祖のカルマの因縁を清める -逆縁に嫁いだ私の体験-part.Ⅱ へ

  • 2020年11月26日
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