大上院勝のブログ
【珠生の体験談】カルマの法則に必然と導かれた娘との再会
皆様、ごきげんよう。
角尾珠生でございます。
私には1歳4か月になる娘が一人おります。
本日は、彼女との再会についてや教えてもらった事についてお伝えしてまいります。
独身時代から「子供の扱いが上手いね」と言われる事が多かった私ですが、実のところ元々は子供が嫌いでした。
子供がその場に存在しているだけなら平気で、また彼らの要求が何となく分かる事が出来たので一緒に遊んだりするのは別に苦ではありませんでした。
しかし、癇癪を起して泣いたり、わがままを言って喚いたり、暴れたりする子供が視界に入ると一気に私の中の乱暴な感情がむき出しになり、不快で苦痛ですらありました。

というのも今振り返ってみると、私自身がそういった行為を許されず抑圧された子供だったので、〈私は許されなかったのに、なぜこの子は許されるのか。〉という嫉妬の気持ちがあったのだと最近大きな発見をし、その気持ちを受け入れました。
なぜそう思うのかという気持ちの仕組みを受け取れるようになると、自分自身と向き合い、私自身の歩んできた過去を整理整頓し執着を手放せるようになります。
私も、
●自分も思いっきりわがままを言って癇癪を起して泣き叫んでみたかった!甘えさせて欲しかった!
●その行為に対して頭ごなしに怒鳴ったり暴力を振るうのではなくて、優しく落ち着かせて欲しかった。
●きちんと私と向き合って双方納得するまで話し合いをして欲しかった。
そういった満たされない思いが私の中に何重にも折り重なって存在しているのだと分かると、自らの傷や悲しみを癒して新たにカルマをつくり出さないように行動する事が可能になります。
今は以前に比べれば随分と、子供達に対して大らかな気持ちで接する事が出来るようになりました。
さて、このようなことが原因で元々子供が嫌いだったわけですが、
結婚して夫としばらく暮らすうちに、この人とこの環境なら子供が出来ても大丈夫かもしれない。と安心感が芽生え、夫とも相談して子供を設ける運びとなりました。

そして、「焦らずに待とうね」と夫と話していたら、あっという間に2か月で妊娠したのです。
【我が子よ!スタンバイからのスタートダッシュが速くないか!?】と驚いてしまいました。
しかし、喜ばしい反面ちょっぴり不安な始まりでもあったのです。
ある日、生理が中途半端に終わったので「あれ何かおかしいな?」と疑問に思い、市販の妊娠判定キットを使用するも判定がよく分からず病院に行きました。
そして病院での検査の結果、超妊娠初期と診断されました。
出血がある事を伝えるとお医者さんからはこのまま流産の恐れがあると告げられました。
ひとまず様子を見るしかなく、次回の検診の予約をした帰り道にちょっぴり不安な気持ちを抱えつつも、《でも私と夫の子供でしょ?戦士同士の子供がこんな程度で諦めるわけないよねー。》といくらか楽観的に捉え、子供の生命力に信頼を置いている私がいました。
これは先生方が開催されている《魂の光》の講座で学びを深め、感覚を研ぎ澄まし信じる事の大切さを教えていただいたおかげでもあります。
その後、子供も順調に育ち、つわりも軽く済み、体重も増え過ぎず、体に湿疹が出来て痒かった事以外は平穏に過ごしておりました。

このまま何事もなく過ごして出産して子育てするんだろうなーと油断していた時、次々と事件としか表現できない出来事が勃発しました。
大きな出来事1
まず父親が倒れて寝たきりになった事。
大きな出来事2
その父の持っていた倉庫のうち1軒(ゴミ屋敷)を大至急片づけて引き払わなければいけなくなった事。
大きな出来事3
夫婦間で経済的な問題が浮上した事。
大きな出来事4
私が急遽転職を余儀なくされた事。
特に大変だったものを挙げるとこんな感じですが、他にも細々とした出来事が勃発していました。
臨月で動きまくる私を皆さん心配してくだいましたが、問題の発端である父をはじめ当事者達が、自ら解くために残されている自分自身のカルマの渦に飲み込まれており、まともな状態とは言い難く。
その中でもわりとまともな状態であった私がやるしかない状況だったので、出来るだけの事をやって出産に臨みました。
無事に娘を産み、2週間は平和でした。
しかし!そこから約1年、娘が1歳になるまでほとんど記憶がありません。
夫が小まめに取ってくれた写真を見て、あぁこんなふうだったなぁと思い出すレベルです。
なぜなら、出産後に本来はゆっくり休んで体力を回復させるべき時期だったのにも関わらず、ほとんど休む間が無かったのです。

父の病院や施設でのやりとりは頻繁に必要で、経済的な問題のやりとりもあと回しにできず、対処に追われる日々。
そして勘が鋭すぎて昼も夜も関係なく泣き喚く娘の世話。
体中が痛い、眠れない、休めない、ご飯もゆっくり食べられない、でもやる事はどんどん増えていく。
夫も手伝ってくれましたが、多忙なため限度がありました。
互いに余裕が無くなり、相手への配慮が欠けて怒鳴り合うような夫婦喧嘩も多々起きました。
全部放り出したい、それこそ命すら投げ捨てたい、と何度も考えました。
【なぜ、子供を持とうと思ってしまったのか。。。。。】

余裕を持って娘に接したいのに、やってあげたい事がたくさんあるのに、最低限の事しか出来ない。時には最低限の事すら満足にこなせない。
こんな事になるなんて予想は出来なかったにしても、私は子供を持つには未熟すぎたのだろうかと思い悩みました。
産後うつという状態であったのかもしれません。
それでも、自らが望んでこの世に命を生み出したのだ。
子供を生んでみたら、思っていたのと違うから辞めますは通らない。
たとえ、何があってもどれだけ苦しくても私は娘の側にいる責任と義務がある。
自分の未熟さや不満を娘にぶつける事は絶対に許されない。
私のような経験を娘には絶対にさせない。
そんな事を考えながら日々を何とか過ごしていました。
娘は、
●勘が鋭く色々感じるのか、雨の日には泣き止まない、夜も何度も起きて熟睡しない。
●寝不足のせいで昼間も機嫌が悪く、とにかく私と触れ合っていないと気が済まない。
●お彼岸やお盆などの時期は昼間も延々抱っこしていないと泣き叫ぶ。

疲れ果てていた私は、もうこれ以上対応出来ない!と発狂しそうになりながらも、怒鳴ったり殴ったりしたら全てが終わるよと、常に半分冷静な私がいて、自分に言い聞かせていました。
せっかく私で【虐待の負の連鎖を断ち切ろう、カルマを清めて成就させよう】というのに私がまたカルマの発信源になるのか?
《そんなの嫌だ!絶対に嫌だ!》と奮起して娘に快適な環境を提供し、お祈りや塩盛も一生懸命行いました。
何度も心が折れましたが周囲の協力や神様からの応援のお陰でようやく最近、色々な事が落ち着いてきました。
落ち着いてくると新たな事も見えてきます。
娘にとって私は100%安全地帯であって、色々見えたり感じても私の側にいれば安心して笑い眠る事が出来る、これは非常に喜ばしい事です。

なぜなら昔の私は家系や過去のカルマを引き継ぎ、そのカルマに飲み込まれ、人を憎み呪って執着に囚われていました。
その私が今【100%安全地帯】という称号を得るなど考えた事もなかったからです。
また、子供が欲しいと思った時に神様に《もし、今の私が子供を持つ資格があるのなら授けて下さい》と祈った事を思い出し、2か月で妊娠し娘が無事にこの世に生まれてきてくれたという事実は「あなたなら大丈夫!!」とお墨付きを貰えたのではないかと考えています。
つまり、何か大変だと思う事が起こっても何とか乗り越えていける力が私に備わってきたというわけですね。
更に、見えない存在が部屋に密集して娘が驚いてギャンギャン泣いて癇癪を起している時は、部屋に置いてある波動の塩を指さして「ここにいる人たちは君に悪さをしに来てるのではなくて、あのお塩を食べに来てるだけだから大丈夫だよ。」と穏やかに伝える事が出来るようになりました。
また、食欲が旺盛で食べる事に執着が見られる娘に対して「君も3回くらい餓死してる子なのね。気持ちはよく分かるよ、ちょっとでもお腹すくと不安なのよね。でも今回は毎日お腹いっぱい食べられるから、ちょっと落ち着こうか。大丈夫、お母さんが毎日美味しいもの作るから安心してね。」と今は過去とは違うんだよと伝えられるようになりました。
だいたい、2回に1回は娘もそれで納得してくれます。
言葉は話せないけれど理解できるって凄いな!天才か!?と、親バカ丸出して娘を称賛する日々です。
同時に、子供は分かっていないように見えても全てを理解しているから、軽んじてはいけないし真摯な対応が必要だとも感じています。
嵐のような日々が過ぎ去ったせいか、「色々あったけど、やはり子供を迎えるのはあのタイミングだった。我ながらナイス判断。」と自画自賛しております。

もし、あの時タイミングを逃していたら娘には会えなかったでしょうし、ひょっとしたら子供を持たないという選択をしていたかもしれません。それどころか、全て放棄してどこかで一人で暮らしていたかもしれません。
物理的な責任からは逃れられてもカルマの影響からは逃げる事は出来ません。
必ず何倍にも膨れ上がって目に見える現象として現れるのです。
それを考えると物凄く辛くて大変だったけれど、逃げずに自分を信じてやってきた事は間違いではなかったなと思います。
そして私を選んで生まれてきた娘。
深い縁があって私の元に来てくれて再会を果たし、そして私を成長させてくれる教官のような存在とも思えます。
まだまだ一人で色々抱えこんで小爆発を起こす時もありますが、
神様の力を信じて祈り、神様のお力をお借りして、娘とって【100%安全地帯】の母親として成長していく姿のままでありたいと考えています。
自分自身のカルマを解き清める大切さ
- 2020年10月8日
- カテゴリー : ブログ