『御神言』と『三六九の儀』大上院勝とマドレーヌ道子の ~カルマ解消~ & Misogi Academy

【愛されないカルマ】親子関係におけるカルマの影響《母親編》 | 大上院勝の「三六九の儀」& Misogi Academy

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【愛されないカルマ】親子関係におけるカルマの影響《母親編》

皆様、ごきげんよう。
角尾珠生でございます。

ブログに自らの体験を書きながら、
虐待のカルマを食い止める使命を
実感しています。

親子とは、
血を分けた最も近い間柄であり、
多くの場合は長い間生活を共にしますから、
生活様式、口調、思考など、
親から子へと影響を与えます。


先祖代々受け継がれてきた物や
習慣などの他にカルマも
何処かで清めないと、
次の世代に持ち越され、
そこで更に影響が増して
次の世代へと引き継がれます。

今回は母親編として引き続き
親から子へ脈々と受け継がれた
「虐待のカルマ」のお話

させていただきます。


>>> 前回の《父親編》はこちら


私の母は東北のある町で
長女として生まれました。




御神言によると、

母の実家は
日本人である武士の家系の流れと
過去に朝鮮から亡命した王族の
娘さんとの流れが混じった
混血の家系でした。

元々とても優秀な血筋でしたが
強い先祖が複数の女性を妾として抱え、
差別や不遇を受ける事もあったようです。

そして、
苦しむ妻や家督を守る妻、
苦しむ妾の御霊が残る事によって、

女性が苦労する幸せになれない

というカルマの影響が
根強く残りました。



その影響もあってか、
裕福な家で俗にいう
良い所のお嬢さんとして
育った母でしたが、

末の妹さんが当時難病を患って
大人になるまで
生きられないかもしれないと
医師に告げられた事もあり、

両親の愛を十分に感じる事が
出来ないまま大人になりました。

更に当時は当たり前の事であった
町の独特な
排他主義・監視主義的な考え方が
性に合わず、

東京の大学に進学し
そのまま就職したそうです。





母の家には男の子が生まれず
実質的に母が跡取りとして
婿を取って家に戻る事を
祖父母は望んでいたそうですが、
母はのらりくらりと拒否しました。

結局、その時の同僚たちと
海外旅行に行った先で
たまたま父と出会い、
うっかりお金を貸した事が縁で
父と付き合って結婚したわけです。




これには母の両親(祖父母)は
良い顔をしませんでした。


祖父に至っては、

「あの子(父の事)は、
 ずっとただの友達だって
  言っていたじゃないか」

とぼやいていたそうです。

祖母は、

「絶対に苦労する、
 いつでも帰っていらっしゃい」

と結婚式で母に言ったそうです。


残念ながらこの祖母の
予言とも言える言葉は
見事、的中しました。



母を父の叔母たちや
父のお姉さんがよく思わず、
「指導」という名の嫁いびり
始まったわけです。

更に舅である祖父は
父親編でも言った通り、

今風に言うのであれば
”モラルハラスメント&経済DV”

本来味方であるはずの父は
ほとんど家に返って来ない


母はカルマの激流の中に飲み込まれ、
本当の自らの望みは何なのかという
正しい判断が出来なくなりました。

ただただ目の前の出来事に翻弄され、
それに対処する事に追われる日々であったそうです。

後々、先生方に、

母が故郷を去り、
過酷な婚家での環境に置かれても
実家に帰らなかったのは、

故郷に帰れば
自らの命を吸い取られるという
危機感を、

無意識に感じていたからかもしれない
と教えていただきました。

母は自らを生かすために
故郷を出て、
婚家での処遇に耐える事を選び、
結果的にそれで命拾いしたそうです。


ただし家を出ても、


母方のカルマは脈々と
子に引き継がれていきました。


そんな過酷な環境ではあったものの
母は女の子を3人授かりました。




祖父や父やおば達は
それなりに私達姉妹に好意を
抱いてくれていましたが、

それぞれ皆が
カルマの渦に飲み込まれて
正常な判断のできない状態でしたから、

健全な形で私達に好意を示すことが
出来ませんでした。

特に

祖父や父の【支配・虐待・暴力】
というものを誰も止めようとせず、

当たり前の様にそういうものだと
諦めて見て見ぬふりをしていました。

ですから、


私達姉妹が泣き叫ぼうが
母は助けてくれることは無く、

むしろ怒らせる私達に
非があるような態度を示す事も多かった
です。



特に末っ子の私は
上の二人と歳が
とても離れていたせいか
一人きりになる事が多く、

皆から放っておかれたり
取るに足らない存在のように扱われました。

衣服やおもちゃ等ほとんどが
姉たちのお下がりで、
壊れていたり不足があるものばかりでしたが

それしか与えられないので
それが当たり前なのだと思っていました。



祖父と父は相変わらず
暴君として我が家に君臨し、
それにただ従う母。



2人の姉たちは互いに助け合い、
辛いながらも
それなりに過ごしていました。


そんな中で私だけ
いつも一人ぼっちでした。




困っても寂しくても
誰にも頼る事が出来ない、

いつも自分一人で
対処せざるを得ない

そんな状態でした。


3歳前後の頃、
母に「抱っこして」と言ったら


「私は抱きしめられたことが
    無いので分からない」


と冷たく言い放たれた事があります。

この様に時折、母は
自分の満たされなかった気持ちを
私にぶつける事がありました。

姉達に同様にしていたかは
分かりませんが、

特に疎外感を感じていた私にとって
これは破壊力抜群の脅威であり、

その中で母にすら見捨てられれば
私に生きる場所はないと
強く感じるようになりました。

ですから幼い頃から
母に対して甘えるという
感情や行動は抑制して、
ひたすら側に寄り添い
癒す存在であろうとしました。

そうすれば、いつか母に

「あなたが
  とても大切で大好きよ」

と言って抱きしめてもらえると
思ったのです。

しかし、

私がどれだけ母を満たそうとしても
最後にいつも選ばれるのは
父や姉達でした。


母なりの処世術として
【権力のある者に従う】
というものがあり、

私は
そのカースト(インドの身分制度)に
当てはめるのであれば
最下層に位置していたからです。

どれだけ与えても
ザルに水を溜めようとするように
流れていく、

そんな不毛な事を
20代中盤まで
ひたすら続けていました。


この行為は、
私の尊厳を傷つけ
自尊心を奪うには十分で

「私という存在に価値はない」
「私など生きようが死のうがどうでもいい」
「生きていても何も良いことは無い」

と常に思っていました。


満たされない気持ちを
物で満たそうとして過食し、
アルコールに依存して
不健康な時期が10年くらい
続きました。

ただ父と同じように、
母も一瞬だけ
「真人間」に戻る瞬間があり、

私に料理を教えてくれたり
植物の名前を教えてくれたりと

今の私の優しさの根底には
やはり母から受けた愛情の影響があります。



母も父と同じように

「両親からの愛情を
 健全な形で受け取れなかった
 哀れな少女」

のまま大人になった人でした。


夫婦とは
この様に似た者同士、
つまり
同じようなカルマを
背負った者同士での結びつきも
少なくないと教わりました。

本来、そのカルマを
互いに助け合って解消して成就させ、
霊的に成長する事が好ましいのですが、

カルマの影響が強ければその分、
合わさって強力なエネルギーとして
飲み込まれる恐れがあるという事を
両親は体現したのです。


父の家系のカルマを清め、
母の家系のカルマを清めたのち、
前回でもお話ししたように

父が自分自身の今回の人生の
カルマに向き合うことになりました。

そして、
その一番影響を与えていた父が
亡くなり、


母はようやく
自分自身を

見つめ直す時を迎えました。

我が家に来て
私の娘の面倒を見てくれている時に
私に

「この子はあなたに
 とても愛されているのが
         分かるわ。 
 私はあなたを
 随分とほったらかしにして、
 かまってあげなかったわね。」

と懺悔するようになったのです。



その様な言葉に慣れていない私は
酷く混乱しました。

この人はいきなり
どうしたのだろう?

どこか病気でも
見つかったのだろうか?

と見当違いな心配をしたり、

今更そんなことを言っても
私の子供時代は返ってきませんが?
と少しひねくれた気持ちにもなりました。


その後、先生方に


「それはまさしく
 お母さんの懺悔です。
 カルマを解消した後は
 お母さん自身のカルマを
 成就する必要があります。

 ですから、珠生さんが
 ”お母さんも大変だったんだね、
 そういう気持ちを話してくれて嬉しい”

 というように、
 成就させる方向へ導いてあげましょう。」



と教えていただいたものの、

なぜ私がそこまで母に
してやらなければいけないのか

という、

私の中にまだひとつまみの
「母への憎しみ」がある事を認識し、
自らの中に蓄積された
悲しさや寂しさ、
怒りの感情の根深さを
改めて意識するようになりました


表面上は母も大変だった、
その時はそうするしか仕方なかったと
分かっていても

心の奥深くでは

「なぜ私を助けてくれなかったの?
 どうして私を突き放したの?
 どうして私を大事にしてくれなかったの?」

という

両親と同じように
「傷つき悲しんでいる子供」が
私の中にもいるのです。


あぁ、この様にして


カルマとは次の代へと
受け継がれるのだな


としみじみと感じました。

それを踏まえた上で

娘には

「愛される事は無償で
  当たり前に起こる事」

という認識で
育って欲しいと思っています。



いつか人生の上で
辛い事が訪れた時、

誰かに愛され大事にされた

という記憶は
必ず本人の助けになります。

逆にそれがない状態で
困難に直面すると
苦労は倍増します。

先生方に


「今からお母さんに
 甘えてみてください。

 生きている内に
 カルマを解消して
 成就するために重要な事です。」


とも教えていただき、



甘えるって何ですか?
と真面目に聞いてしまいました。


冗談抜きで、

甘えるという行為が
どういうものなのか分からないのです。



これは人として重大な問題です

誤解を招くといけないので
補足すると、

悪い という事ではありません。



【甘える】は言葉を変えると
【頼る】という言葉になりますが、


これを我慢してしまうと
悩んで自分を責めて
悲しい選択として
自ら命を絶つなんて事にもなります。

2番目の姉は、
悲しい事にこの選択を選び
20代の若さで自ら命を絶ちました。



私も実際、
何度も死のうと試みました、

運悪ければ10代のうちに
死んでいた事でしょう。

慣れていない
【甘える・頼る】という行為

これを練習していく事が
今後の私の課題でもあります。


両親はカルマの影響によって
不必要な程に苦労を重ね、
それが私に受け継がれました。

ここで私がこの連鎖を止め、
娘には出来る限り
彼女にとって
必要な分だけの苦労で
生きていって欲しいと思っています。

苦労も全く無いでは
成長になりません、

ただ私がわざわざ
娘の苦労を増やす必要はないと
思っています。

父は突然寝たきりになり、
亡くなる事で
自らのカルマを解消せざるを
得ませんでした。

幸運な事に
母は衰えてはいますが
まだ元気です。



これからの残りの時間は
本来あるべき
健全な【母と娘】としての
関係を築き直し、
親子のカルマを解消し
成就していきたいと思います。


  • 2020年07月30日
  • カテゴリー :
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