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平家と源氏の因縁 《MICHIKOの鎌倉体験》 | 大上院勝の「三六九の儀」& Misogi Academy

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平家と源氏の因縁 《MICHIKOの鎌倉体験》


Michiko Madeleneです。

先祖の因縁。

戦国時代の武士の祖である源氏 と
より開かれた貿易、信仰の祖である平氏の因縁。


平家と源氏をよく知らない、
という人でも、
平家物語の冒頭は学校で習います。


覚えているかな?



祗園精舎(ぎおんしょうじゃ)の鐘の声、諸行無常の響きあり

娑羅双樹(しゃらしょうじゅ)の花の色、
盛者必衰(じょうしゃひっすい)の理(ことわり)をあらはす

おごれる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし

たけき者も遂にはほろびぬ、
偏(ひとえ)に風の前の塵(ちり)に同じ



冒頭の句は、離合集散、栄枯盛衰、という理を伝えています。

習った頃は、深い意味までよみとれませんでした。


《平氏》と『源氏』と聞くと誰もが思い当たるのは、

平家代表は、
平将門(たいらのまさかど)

平清盛(たいらのきよもり)

源氏代表は、
源頼朝(みなもとのよりとも)

源義経(みなもとのよしつね)

ではないでしょうか?




私の住まいは東京だったので、
将門伝説も鎌倉(幕府跡)も身近なところにありました。

よく知らない!という方へ
歴史を簡単に振り返ってみることにしましょう。


平安時代、1159年「平安の乱」

後白河天皇と二条親政派それぞれに仕える
藤原通憲(みちのり)と藤原信頼(のぶより)の権力争いがきっかけで、
通憲には平氏(清盛)が、信頼には源氏(義朝)味方となり、ついには平氏と源氏の戦いになりました。

この戦いでは、平氏が勝利し、源氏のおもな武将は殺され、
幼かった源頼朝はかろうじて命を助けられて、伊豆に流されました。(伊豆で自由に暮していたようです)

勝利した平氏の当主であった平清盛は、
やがて武士として初めて太政大臣(だいじょうだいじん)になり、
政治の実権を握りることになりました。

さらに平氏は経済的にも政治的にも力をつけて、
法皇を幽閉し安徳天皇(平清盛の孫)を擁しました。

こうして独裁的となった平氏に不満を持つ者が増え、
平氏を倒そうとして兵を挙げる武士が増える中、

成長した源頼朝は鎌倉を拠点にして力をつけて、
平氏を倒すために挙兵したのです。

ここから源氏と平氏の戦いが始まりました。

これが「源平の争乱」です。

そして、

壇ノ浦(だんのうら)の戦いで『源氏』が勝利し、
《平氏》が滅亡した後、源頼朝は鎌倉幕府を開きます。

以後、武士による政治が続くことになります。

そして、今回は、

私の幼少期の「鎌倉体験」の
お話をしましょう。

霊(ここでは地縛する霊とします)もカミもいるこの世界ですが、
やはり因縁となれば、
歴史と霊(地縛霊・怨霊)ですね。

神奈川県にある鎌倉は、
源頼朝が平家を滅亡させた後、
新たな武家主導の政治を執り行うために開いた幕府の跡地です。
このため、神社や寺院がたくさん残る観光地です。



その鎌倉に初めて訪れたのは7歳くらいだったのですが、
この時に多くの《兵士》の霊と対面しました。


家族で鎌倉逗子に旅行に行った時のこと。

鎌倉では有名な大仏さまを拝みにいき、
そして、鶴岡八幡宮という有名な神社にお参りに。。。。。

その鶴岡八幡宮は、
駅からすぐに参道があります。




その参道に、、、、、
ずらーーーーーーーと兵士が並んでいるのです。

わんさか・・・



ぎゅうっと、身体が固まり、
はりつめ、足が動かない。

『ここは歩けない!行くのは無理!!!』

と、親に訴え座り込む私。

霊が見えない親は、
「じゃあここで待ってなさい」と、
あっさり置いて行かれました。


(´༎ຶོρ༎ຶོ`)

(((置いてく?
   この恐ろしいところに???)))


こどもの私は参道の入り口近くに座って、
兵士と睨み合い(見てるだけですが)。

そして、帰るに帰れず、
(家までの帰り方もわからず)

親を追いかけることもできず、

そのうち、

”このまま捨てられたかもしれない”
という悲しみまで湧いてくる。。。


あまりの辛さに、しくしく涙を流して、
家族の帰りを待ち続ける長い長い時間となったのです。


涙の再会を果たし、
そして、その日の宿泊は、
海の目の前にある逗子の小さな旅館でした。

私は海が大好きでしたが、

旅館の前の海を見たら!!!

海から兵士があがってくる姿がみえたのです。


(´༎ຶོρ༎ຶོ`)


もしや、私をさらいにきたのでは??
鎌倉から追いかけてきたのでは???
という不安の妄想が湧いてきて、
恐ろしくなって一目散に旅館に戻りました。

そして、夜にさらわれるのではないか、と恐れて、
父にしがみついて、不安でうとうとするだけで
深い眠りに入ることができなかったのです。

なんとも疲れた旅行でした。
帰ってから、熱を出して寝込みました。



このように鎌倉は、
霊のわかる人にとって
いろいろな体験のできる土地です。

私の鎌倉でのエピソードだけでも本が書けそうです。


・高校生の遠足で巻かれる編
・北条政子の墓、呪われそうになる編
・戦場、戦いを挑まれる編
・ダウジング実地、霊の刀で刺される編


などなど。。。。


鎌倉トンネルは、
心霊スポットで有名ですし、
鎌倉に移り住んだ方から、
「霊をよくみるのよ」というお話しもいただきます。



違った視点で鎌倉を訪れることをお勧めします。
波動の塩を忘れずにお持ちください。

Love All Serve All
MICHIKO

  • 2019年11月13日
  • カテゴリー :
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