【珠生の体験談】それぞれ別の人間だからこそ色々あるし、愛しい。
ごきげんよう、角尾珠生でございます。
少し前にコロナの影響で夫婦が一緒に過ごす時間が増えたことによって、関係性に変化があったかどうかというようなアンケートを目にしました。
ポジティブなコメントもあればネガティブなコメントもあり、中には「コロナの影響で夫婦関係が悪化した(中略)このままパートナーと一緒にいるのは無理だと感じるが、子供もまだ小さいので・・・。」というコメントもございました。
そのコメントを読んで、とても主観的な感想としてコロナはあんまり関係ないのでは?と思った次第でございます。
あくまでコロナという現象はきっかけで、元々何かしらの不満やら衝突があった結果として今問題が浮き彫りになっているわけで、コロナのせいと一言で片づけてしまうのは本質的ではないのでは?と。
まだまだコロナウィルスとは未知な存在です。
人は未知のものを恐れる傾向にあります、ただしその恐れをエネルギーにして科学が発展してきました。
現在の便利な生活の全てがその賜物であると言えるでしょう。
しかし不安や心配で視野が狭くなってしまうと、物事の本質を見抜く力が阻害されます。
例えば中世ヨーロッパでは疫病を流行らせているのは魔女の仕業だとされ、たくさんの無実の人々が拷問にかけられたり処刑されました。
【手足を縛って水に投げ込んで浮かんでこなければ人間なので無罪、浮き上がれば魔女なので処刑】というどっちにしても生かす気が無い判定方法がまかり通っていたわけです。
そのように不安や心配というエネルギーに人は囚われやすく、如何にそこで自分を保てるかということが重要になってきます。
更に、ここはかなり強調して申し上げたいのですが、母親から遠回しに「あなたのためにお母さんはお父さんと一緒にいるの」とすり込まれてきた経験がある者として、その表現が直接的でなかったとしても徐々に子供の心は蝕まれていきます。
もちろん、両親が2人揃っていると出来ることも2倍以上になりますから子供にも良い影響を与えることができるでしょう。
しかし、どちらかが不満を溜め込み更にグツグツと煮込んでその禍々しいモノが外に滲み出ていたとしたら、子供にどのような影響を与えるか、その危険性は未知数です。
しかし、経済的な理由であったり、ひとり親家庭への偏見やサポートシステムが整っていないなどの問題もありますから、サクッと関係を終わらせるわけにはいかないというお気持ちもよく分かります。
では、どうするか?
《今、自分に出来ることを最大限やりきる》
これに尽きるのではないでしょうか?
異なる環境で育ってきた男女がそんなに簡単に短時間で分かり合えるわけがないというのが、今の私の持論ではありますが、コロナが爆発的に拡大する前から2日に1回くらい夫に対して「この人、私の人生に必要かしら?」と考えることがありました。
育ってきた環境が異なるということと、それぞれの家系のカルマを背負った者同士が一つ屋根の下に住む、これで何も衝突が起きないわけがない。
もし双方のご先祖同士の間に過去に何かしらの因縁があれば余計にもめごとも起こるでしょう。
夫の場合は幼少期の満たされない思いが私と結婚したことによって、大放出されていました。
『この人なら何をしても許して受け入れてくれる、何をしても離れていかないでくれる。』
そんな思いが透けて見え「私はあなたの母親じゃない!」と何度、吠えたことか・・・。
そこで拒絶してさよならすることも出来たのですが、踏み止まって現在に至ります。
私はこの人を癒して、もっと自立した人に成長するように手助け出来る。
まだ、本当にダメなラインは超えていない、まだ許容できる。
この人をここで見捨てて、後悔しないか。
そんな様々な思いが日々浮かんでは消えてを繰り返していました。
きっと過去にたくさんの人を見殺しにせざるを得ないような選択をして、もう誰も見捨てたくない、二度と嫌だという力が働いているのだと自己分析しております。
ただし、万が一娘にとって害悪100%になった時、私は全力で夫を切り捨てるでしょう。
私の母はそれをしませんでした、当時は状況的に出来なかったというのが正しい表現かもしれません。
結果的に今の私は色々乗り越えて強く逞しくなったので、まぁ本人にはどうしようもない仕方がない事もあるよねと納得しつつ、母に対して「もうちょっと何かあなたに出来ることありましたよね?」と思う部分もちょぴっとあります。
頭では理解できても心が伴わない過去の傷、もはや過去の亡霊とも呼ぶべきもの。
これもまた私が今後の人生で解消して癒していくべきポイントであると考えています。
しかし、私だってせっかく縁あって夫婦となったわけですから、夫を切り捨てたくはないのでなるべく回避したく日々様々に取り組んでいます。
つい先日もイヤイヤ期フィーバーで強烈に大暴れしまくっている娘がご飯中に駄々をこねはじめ、くたびれ果てた夫が「何で食べないの!あぁもう泣くとむせるから!ほら、むせただろ!!」と大きな声を出していて、キッチンにいた私が作業を中断して代わりに娘に
ご飯を食べさせるという出来事がありました。
私が食べさせている間も「ブロッコリーが硬いから、食べないんだ。」などとブツブツ言っておりまして、私が「茹でた後に小さく切っているよ。少しずつ食べさせるといいよ。」と静かに返したところ、「ちょっとずつ、やっていたよ!!」と言われ、あぁこれは今は何を言っても1mmも響かないですねぇとなったので一旦、放置して冷却期間を設けました。
その間に上手く娘に対応できずに大きな声を出した夫を責めたい、罰したいと思う私自身も落ち着けることにしました。
そして程よく夫も私も落ち着いた頃に責めることは誰にでも容易く出来る、私にしか出来ないことは何かと熟考して、座っていた夫の頭を抱きしめて「大丈夫、大丈夫だよ。安心してね、良い子だね。よしよし。」と娘にするようにやってみました。
夫はびっくりして盛大にむせながらも、文句も言わずにされるがままになっておりました。
「俺にだってプライド(威厳)ってものがある。」と普段は格好つけがちだけど、こういうことがこの人は嫌いではないのだなと、反抗期の中学生男子か?私こんな大きな息子産んでないはずなんだけどおかしいなぁ?と呑気にしておりましたら、しばらくして夫が娘を抱きしめて「さっきはごめんねぇぇぇ!!大好きぃぃぃ!!」と全力で謝罪していました。
ケラケラ笑って夫の眼鏡をむしり取る娘を見て、『これで良い、大丈夫だ』と安心しました。
スタートは素直じゃないけれど、最終的に素直な所に帰ってくるので多分私は夫と一緒にいるのでしょう。
それが最後まで出来なかった亡き父を哀れだなと思い、そう働きかける余裕が無かった母もまた哀れであると思います。
虚勢を張らずに素直に生きた方が何倍も人生を楽しく生きることが出来たのにと。
しかし、それを分からなくさせるのが自我の欲求であり、家系や過去のカルマの影響でもあるのです。
よく夫婦は2人で1人という表現がありますが、夫も妻も全く別の人間で個人は個人でしかありません。
違いを持つ2人が出会い、共に生きることで徐々に違いを分かり合い、互いを補い助け合い生きてく。
夫婦のあるべき姿というのはそういうものだと私は考えます。
ちなみに先生方がおっしゃるには夫婦とは元来、切磋琢磨する学びの相手であったり、互いの家系のカルマを解消する役割があったりと、何かしらのミッションを果たすべくして夫婦になるそうなのでぶつかるのは必然ともいえるわけです。
夫に対して「この、あんぽんたん!」と感じるたびに「だ・か・ら、私と一緒にいる。神様、重要な学びの相手をありがとう。」とお礼をいうことにしています。
子育てと同じように夫婦関係も、甘やかすだけ優しくするだけでは相手のためにも自分のためにもなりません。
相手の成長の邪魔にならない程度に手を差し伸べる、この匙加減がとても難しいのです。
そして相手は素直さの上にプライドやら色々と何重にも覆いかぶさっている大人ですから、余計にぐぬぬぬと思うことも多々あります。
それでも、今回の人生で出会えた奇跡に感謝して私に出来る限りのことをやっていきたいと思います。
やるだけやって、それでもどうしても無理だったとなれば諦めもつくだろうと思っています。
そうならないのが一番良いのですが、どうなるにせよ何事もやりきるということが大切です。
私が努力して自分を良き方向へ変えていけば、必ず周囲もその影響を受けて変化していきます。
実際、問題もたくさん大放出したものの夫も本来の魂としての存在へ、ちょっと近づいていると感じます。
今まで溜め込んできた様々なものを一度、放出してリセットするということが重要なのかもしれませんね。
珠生の《カルマ体験談・11/15号》
本日のテーマは
【夫婦の不思議】
ごきげんよう、角尾珠生です。