12/23大上院勝・道子無料Zoomお話会《神の言葉・奇跡の体験談「心の扉を開く」お話会》
《神の言葉・奇跡の体験談「心の扉を開く」お話会》
12月23日(木)19時~20時30分
(詳細・申込)
https://eventlink.jp/ent/2gict6bk
—–
2021年最後の無料Zoomお話会を開催します。
大上院勝・道子です。
心の扉を開くお話し会は、
どんなお話しでも内容でも自由にお話しいただける場です。
私たちは誰もが、
心に秘めていること、
我慢していること、
不安や心配なこと、
気になること、を抱えています。
そして、
喜びを分かち合いたい経験や出来事、
不思議な体験、
霊的な感覚、
友人や家族には話したくないけれど…など、
気になること、解決したいこと、
心を言葉にするだけでも心の扉が開かれます。
同じ日に参加する人も
神様の導きと御計らいによって
同じテーマを持っているのです。
初めての方も安心して参加していただけます。
愛と光の場として、
魂より参加をお待ちしております。
大上院勝・道子
—–
《神の言葉・奇跡の体験談「心の扉を開く」お話会》
12月23日(木)19時~20時30分
(詳細・申込)
https://eventlink.jp/ent/2gict6bk
【珠生の体験談】それぞれ別の人間だからこそ色々あるし、愛しい。
ごきげんよう、角尾珠生でございます。
少し前にコロナの影響で夫婦が一緒に過ごす時間が増えたことによって、関係性に変化があったかどうかというようなアンケートを目にしました。
ポジティブなコメントもあればネガティブなコメントもあり、中には「コロナの影響で夫婦関係が悪化した(中略)このままパートナーと一緒にいるのは無理だと感じるが、子供もまだ小さいので・・・。」というコメントもございました。
そのコメントを読んで、とても主観的な感想としてコロナはあんまり関係ないのでは?と思った次第でございます。
あくまでコロナという現象はきっかけで、元々何かしらの不満やら衝突があった結果として今問題が浮き彫りになっているわけで、コロナのせいと一言で片づけてしまうのは本質的ではないのでは?と。
まだまだコロナウィルスとは未知な存在です。
人は未知のものを恐れる傾向にあります、ただしその恐れをエネルギーにして科学が発展してきました。
現在の便利な生活の全てがその賜物であると言えるでしょう。
しかし不安や心配で視野が狭くなってしまうと、物事の本質を見抜く力が阻害されます。
例えば中世ヨーロッパでは疫病を流行らせているのは魔女の仕業だとされ、たくさんの無実の人々が拷問にかけられたり処刑されました。
【手足を縛って水に投げ込んで浮かんでこなければ人間なので無罪、浮き上がれば魔女なので処刑】というどっちにしても生かす気が無い判定方法がまかり通っていたわけです。
そのように不安や心配というエネルギーに人は囚われやすく、如何にそこで自分を保てるかということが重要になってきます。
更に、ここはかなり強調して申し上げたいのですが、母親から遠回しに「あなたのためにお母さんはお父さんと一緒にいるの」とすり込まれてきた経験がある者として、その表現が直接的でなかったとしても徐々に子供の心は蝕まれていきます。
もちろん、両親が2人揃っていると出来ることも2倍以上になりますから子供にも良い影響を与えることができるでしょう。
しかし、どちらかが不満を溜め込み更にグツグツと煮込んでその禍々しいモノが外に滲み出ていたとしたら、子供にどのような影響を与えるか、その危険性は未知数です。
しかし、経済的な理由であったり、ひとり親家庭への偏見やサポートシステムが整っていないなどの問題もありますから、サクッと関係を終わらせるわけにはいかないというお気持ちもよく分かります。
では、どうするか?
《今、自分に出来ることを最大限やりきる》
これに尽きるのではないでしょうか?
異なる環境で育ってきた男女がそんなに簡単に短時間で分かり合えるわけがないというのが、今の私の持論ではありますが、コロナが爆発的に拡大する前から2日に1回くらい夫に対して「この人、私の人生に必要かしら?」と考えることがありました。
育ってきた環境が異なるということと、それぞれの家系のカルマを背負った者同士が一つ屋根の下に住む、これで何も衝突が起きないわけがない。
もし双方のご先祖同士の間に過去に何かしらの因縁があれば余計にもめごとも起こるでしょう。
夫の場合は幼少期の満たされない思いが私と結婚したことによって、大放出されていました。
『この人なら何をしても許して受け入れてくれる、何をしても離れていかないでくれる。』
そんな思いが透けて見え「私はあなたの母親じゃない!」と何度、吠えたことか・・・。
そこで拒絶してさよならすることも出来たのですが、踏み止まって現在に至ります。
私はこの人を癒して、もっと自立した人に成長するように手助け出来る。
まだ、本当にダメなラインは超えていない、まだ許容できる。
この人をここで見捨てて、後悔しないか。
そんな様々な思いが日々浮かんでは消えてを繰り返していました。
きっと過去にたくさんの人を見殺しにせざるを得ないような選択をして、もう誰も見捨てたくない、二度と嫌だという力が働いているのだと自己分析しております。
ただし、万が一娘にとって害悪100%になった時、私は全力で夫を切り捨てるでしょう。
私の母はそれをしませんでした、当時は状況的に出来なかったというのが正しい表現かもしれません。
結果的に今の私は色々乗り越えて強く逞しくなったので、まぁ本人にはどうしようもない仕方がない事もあるよねと納得しつつ、母に対して「もうちょっと何かあなたに出来ることありましたよね?」と思う部分もちょぴっとあります。
頭では理解できても心が伴わない過去の傷、もはや過去の亡霊とも呼ぶべきもの。
これもまた私が今後の人生で解消して癒していくべきポイントであると考えています。
しかし、私だってせっかく縁あって夫婦となったわけですから、夫を切り捨てたくはないのでなるべく回避したく日々様々に取り組んでいます。
つい先日もイヤイヤ期フィーバーで強烈に大暴れしまくっている娘がご飯中に駄々をこねはじめ、くたびれ果てた夫が「何で食べないの!あぁもう泣くとむせるから!ほら、むせただろ!!」と大きな声を出していて、キッチンにいた私が作業を中断して代わりに娘に
ご飯を食べさせるという出来事がありました。
私が食べさせている間も「ブロッコリーが硬いから、食べないんだ。」などとブツブツ言っておりまして、私が「茹でた後に小さく切っているよ。少しずつ食べさせるといいよ。」と静かに返したところ、「ちょっとずつ、やっていたよ!!」と言われ、あぁこれは今は何を言っても1mmも響かないですねぇとなったので一旦、放置して冷却期間を設けました。
その間に上手く娘に対応できずに大きな声を出した夫を責めたい、罰したいと思う私自身も落ち着けることにしました。
そして程よく夫も私も落ち着いた頃に責めることは誰にでも容易く出来る、私にしか出来ないことは何かと熟考して、座っていた夫の頭を抱きしめて「大丈夫、大丈夫だよ。安心してね、良い子だね。よしよし。」と娘にするようにやってみました。
夫はびっくりして盛大にむせながらも、文句も言わずにされるがままになっておりました。
「俺にだってプライド(威厳)ってものがある。」と普段は格好つけがちだけど、こういうことがこの人は嫌いではないのだなと、反抗期の中学生男子か?私こんな大きな息子産んでないはずなんだけどおかしいなぁ?と呑気にしておりましたら、しばらくして夫が娘を抱きしめて「さっきはごめんねぇぇぇ!!大好きぃぃぃ!!」と全力で謝罪していました。
ケラケラ笑って夫の眼鏡をむしり取る娘を見て、『これで良い、大丈夫だ』と安心しました。
スタートは素直じゃないけれど、最終的に素直な所に帰ってくるので多分私は夫と一緒にいるのでしょう。
それが最後まで出来なかった亡き父を哀れだなと思い、そう働きかける余裕が無かった母もまた哀れであると思います。
虚勢を張らずに素直に生きた方が何倍も人生を楽しく生きることが出来たのにと。
しかし、それを分からなくさせるのが自我の欲求であり、家系や過去のカルマの影響でもあるのです。
よく夫婦は2人で1人という表現がありますが、夫も妻も全く別の人間で個人は個人でしかありません。
違いを持つ2人が出会い、共に生きることで徐々に違いを分かり合い、互いを補い助け合い生きてく。
夫婦のあるべき姿というのはそういうものだと私は考えます。
ちなみに先生方がおっしゃるには夫婦とは元来、切磋琢磨する学びの相手であったり、互いの家系のカルマを解消する役割があったりと、何かしらのミッションを果たすべくして夫婦になるそうなのでぶつかるのは必然ともいえるわけです。
夫に対して「この、あんぽんたん!」と感じるたびに「だ・か・ら、私と一緒にいる。神様、重要な学びの相手をありがとう。」とお礼をいうことにしています。
子育てと同じように夫婦関係も、甘やかすだけ優しくするだけでは相手のためにも自分のためにもなりません。
相手の成長の邪魔にならない程度に手を差し伸べる、この匙加減がとても難しいのです。
そして相手は素直さの上にプライドやら色々と何重にも覆いかぶさっている大人ですから、余計にぐぬぬぬと思うことも多々あります。
それでも、今回の人生で出会えた奇跡に感謝して私に出来る限りのことをやっていきたいと思います。
やるだけやって、それでもどうしても無理だったとなれば諦めもつくだろうと思っています。
そうならないのが一番良いのですが、どうなるにせよ何事もやりきるということが大切です。
私が努力して自分を良き方向へ変えていけば、必ず周囲もその影響を受けて変化していきます。
実際、問題もたくさん大放出したものの夫も本来の魂としての存在へ、ちょっと近づいていると感じます。
今まで溜め込んできた様々なものを一度、放出してリセットするということが重要なのかもしれませんね。
親子のカルマ~母の悲しみを引き受けると決めて生まれてきた息子~第一章
こんにちは。
美由紀です。
今回は私と息子の親子のカルマについてお話しをさせてください。
マワリテメグル
こんにちは、瑆です。
最近、”まわる”、”循環”、ということを意識することが多くあります。
そこには、あたたか~いものが”まわって”います。
【珠生の体験談】種をまくという行為が絶対に無駄にはならないという証明。
ごきげんよう、角尾珠生でございます。
ようやく木々が芽吹き、花咲き誇る春がやってまいりました。
冬の私は全ての感覚が硬く閉じがちなので、思考もネガティブな方向へ行ってしまうことが多く、些細な事でも大きな不安にすり替えてしまいます。
親子のカルマ~母と娘のカルマの解消~
こんにちは。美由紀です。
これから2回にわたり私の子供たちについてお話をさせて頂こうと思います。
私には、現在22歳の娘と17歳の息子がいます。
今回は娘が生まれてから現在に至るまでの娘や私の変化についてお話をしようと思います。
【HIKARUの体験談】自分を知ることが趣味です
こんにちは、瑆です。
今年に入って、新しい出会いがいくつかあったのですが、お話をするたびに、いろんな「私」を発見して、こんな私もいたのか!とおもしろさを感じています。
いろんな「私」を知っていくことが、もはや趣味です(笑)
「相手のことでなくて自分のことなの?」と思った方がいらっしゃるかもしれませんね。
もちろん、目の前にいらっしゃる方のことも、どんな個性をお持ちなのだろう?と興味を持って知ろうとします。そして同時に、相手と話しながら、私は自分自身をよーく観察しているのです。
「今の言葉を聞いてイライラしてきた。どうしてだろう?」
「話しているうちにすごく悲しくなってきた。どうしてだろう?」
私の中に湧き上がってくる感情の変化を観察して、はて、なぜだろう?と振り返ってみているのです。
どうして観察を始めたのか?
きっかけは、【魂の光】の講座で学んだことです。

イライラや悲しみ、不安などの感情。
これは日々私たちの中に湧き上がってきます。
例えば怒りが湧いてきた時、「○○さんがそんなこと言うからだ!」とついつい相手のせいにしてしまいます。
でもどうでしょう?
同じことを言われても怒らない人もいませんか?
ということは、言った相手のせいではなく【私の中で何かが引っかかって起きていること】なのです。
数年前の私だったら、これを聞いて「は?私のせいなの?私が悪いわけ⁉︎」と憤慨するか、私がいけないんだと自分を否定し責めていたことでしょう。
でも、怒りも、その他のどんな感情も、《良い》でも《悪い》でもなく【起きたきっかけは私の中にあるよ】と言うだけなのです。

私の個性や、幼少期から経験してきた様々な出来事でそれは起きてきます。
そして、そのきっかけ(スイッチ)がどこにあるかに気づくと、自分の中のこだわり、思い込みなどに気づきます。
私ってそんな思い込みがあったのねー!こだわりがあったのねー!と言うことに気づきます。気づいて受けとめて、癒したり和解してあげると、なんとそこから自由になれるのです。
そして、次に同じことが起きても、「あははっ(笑)」と笑って過ごせてしまうのです。
自由になって解放されていく感覚です。どんどん楽になっていくのです。
これってすごいことなのですよ!
私が子供の頃からずっと抱えてきた自己否定なども、す~っと消えてきたのですから。

自分のこだわりや思い込み、価値観は、それぞれ独特のものを持っていますが、あまりに当たり前すぎてなかなか自分では気づけないのですよね。そして、だからこそ自分の当たり前を人に押し付けてしまったりします。
例えば以前私は、LINEでメッセージを送って既読になっても返信が来ないと、不安になったりイライラしたりしていました。
そしてそれはみんな同じだと思っていたのです。
【魂の光】の講座の中で、この状況の時にみんなはどう考えるか?を聞いてみたら、
「メッセージを読んでも、忙しい時には後でゆっくり返信したいから後回しにする」
「返信が来なかったら、相手に何かがあったのではないかと心配になる」
などの考えがあると知って、驚いたのです。
そして、「LINEが既読になったらすぐに返信するべき」だと言うのは、私特有の考え方であり、思い込みであったと気づきました。だから相手にもそれを求めて、勝手に怒ったり不安になっていたのです。
これはほんの一例ですが、
こういうことってよくありませんか?
そして私は、この思い込みを手放して、すぐに返信が来なくてもそれぞれの事情があることがわかったし、逆に私自身も「すぐに返信しなければならない」と言う呪縛から逃れて、自由に返信するようになりました。

こうやって、自分の特徴(考え方や思いの癖)を知って、良い悪いもなく受けとめていくと、余計なものは手放すことができますし、逆に自分だけの個性や特徴を活かしていくことができます。
例えば、持久力のある身体か、瞬発力のある身体かで、得意なスポーツは変わってきますね。文字を書くのが得意か、数字が得意かで、向いている仕事も変わりますね。
自分という個性を知ることは、とってもとっても大切で有意義なことです!
以前の私は、「自分を知ること」が怖くて怖くてたまりませんでした。
なぜなら、子供の頃からみんなに好かれたくて、「周りの人に合わせて生きること」が親やみんなに好かれるコツだと思っていました。
だから、自分自身を無くして周りに一生懸命合わせていました。
「みんなと違うこと=悪いこと」くらいに思っていましたので、自分を知ることは「ダメな自分を見つけること」であったのです。
ダメな自分なんて知りたくありませんし、当然認めたくもありませんから、避けて通ってきました。
そして、みんなと同じようにできないことを誰かと比較しては、「私なんてダメだー!」と自分を卑下し、自己否定をしてきました。
とても苦しかったので、どうにか解決したくて、占いにハマったり、心理学やカウンセリング、自己啓発などを学ぶのに数百万円をかけてきました。でも、ある程度のことまでは解決しても、根本的には解決に至らず、いつもどこか生きづらさ、行き詰まりを感じていました。

でも、【魂の光】で学んでから、考え方のベースが真逆であったことに気づきます。
「価値観が違うことがあたり前、全員が違うことがあたり前」ということ。
金子みすずさんの「私と小鳥と鈴と」と言う詩にも、”みんなちがって、みんないい” とあります。大学時代から知っていて、救いを求めるように読んでいたのに、実感はできませんでした。
そして、学び始めて知った大きな前提は、私たちは「魂」であるということでした。
「魂」である私が、「身体や心(性格)」を纏ってこの世に生まれてくるのです。「魂」がこの世でどんな成長を遂げたいかによって、それに相応しい特徴をもった「身体や心(性格)」を選んで生まれてくると言うこと。
だから、それぞれにみんな違うことが「当たり前」だったのです。
そして、それは宇宙の大きな進化の計画の中に私たち1人1人がそれぞれの個性で属しているそうです。
私たちはよく、共感を求めますよね。
相手と似たような感覚だと、なぜかホッとします。
でも、実は「相手のことをわかるなんてあり得ません!」ということが前提でいると、とっても楽になります。
価値観の違い?そもそも違うことが当たり前!なのです。
だから、自分で自分のことをよ~く知ってあげて、大切に大切にぎゅぎゅぎゅーっと抱きしめてあげることが、心底大事です!
自分が自分のことを一番よくわかってあげられます。
(実感こもってます!)
どんな時に楽しくて、嬉しいのか?
どんな時に悲しくて、どんな時に不安になるのか…?
というのが分かってくると、その感情の中に埋もれなくなります。
すぐにフラットな状態に戻ってきて、自分を第三者的に観察することができるのです。
すると、自分と上手に付き合えるようになってきます。

「自分探し」という言葉がよく使われた時期がありました。
自己啓発が流行った時期だったでしょうか?
私が自分の経験から伝えたい大切なことは、
探す場所は「自分の内である」ということ
です。
私は、それを外に求めました。
自分のことをよく知らないままに、自分の居場所はどこか他にある!とあちこち放浪したり、すごい成功者の真似をしてみたり。
今だからわかります。自分のことを知らずに自分の居場所に気づけるはずもなく、そして他の誰かになるなんて決してできないということを。
そして今の私は、「探す」という表現にも、とても違和感を感じます。
「探す」というよりは、自分を「よく知る」「深める」という感覚が近いですね。自分をよく深めて知って、自分と上手に付き合っていく、という感じです。
そして自分を知った上で、
自分と相手の考え方や感じ方はどう違うんだろう?
相手はどんな個性があるんだろう?
と見ると、自分の特徴を知ることが楽しくなって、相手を知ることも楽しくなります。相手のことを知ろう知ろうとするよりも、自分とどう違うかを知ることで、相手を深く知っていくことができます。
お互いの個性を生かしていけるわけですね。
そして、自分を観察していくにあたってとても大切なこと。
それは、マインドフルネス状態でいる、ということです。
自分の感情の変化に気づくには、自分自身が静かになっている必要があります。
どういうことかというと、いつ何時でも、身の回りで起きていることや変化、自分自身の身体や感情の変化に「気づき続けている」ということです。
そうすることで、湧いてきた感情の中に埋もれずにいることができます。

カーッと湧いてきた怒りに任せて、相手に暴言を吐いたり、昔の私のように、悲しみや自責の念に埋もれて1週間くらい立ち直れない、なんてこともなくなります。
客観的に自分を見つめることができるようになってきます。
そのために必要なのが、呼吸を意識したり、瞑想をすること。
私も瞑想は苦手ですが、呼吸を意識することはだいぶ慣れました。
自然は私たちを全てありのままに受けとめてくれますので、自然の中で静かに呼吸したり瞑想することはとてもやりやすいです。だから私は自然の中に行くことが多いのですが、もっと日常の中で行えるようにと練習中です。
また、ファスティングでも、身体から自分を整え、細胞から静まってていきますのでとても有効ですよ。
興味がある方はぜひ下記のリンクをご覧くださいね♪
そして、この宇宙に1人しかいないこの私自身をよく知って、大切に生かしていきましょう。
*大上院勝の瞑想講座
*きらめきファスティング~あなたの魅力が溢れます
*魂の光プラクティショナーⅣ期
生家の先祖のカルマを清めた美由紀の体験 ~今は亡き祖父との約束~ 続編
こんにちは、美由紀です。
前回に引き続きまして、私の生家のご先祖様のカルマを解き清めたお話をさせて頂きます。
前回のブログはこちら
生家の先祖のカルマを清めた美由紀の体験 ~今は亡き祖父との約束~ 前編
こんにちは、美由紀です。
嫁ぎ先の土地や家系のカルマのお話に引き続きまして、今回は私の生家のご先祖様のカルマを解き清めたお話をさせて頂きます。
私は長女として生まれました。
【珠生の体験談】私は優しい手の持ち主でありたい -親子関係のカルマから学ぶこと -
ごきげんよう、角尾珠生でございます。
先日、受講中の【魂の光・マスタープラクティショナー】のワークとして、〈エゴの中にいるとき〉というテーマで娘との出来事をFacebookのグループに投稿しました。